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2025年度部員ブログ vol.57 檀上翔多郎(4)

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こんにちは。 200mでは!一度も勝てなかった松嶋君から引き続きました。商学部4年の檀上翔多郎です。 今回は、4年間を振り返りながら自分の想いを綴りたいと思います。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。 私は4年前、「こんな強豪校で本当に活躍できるのだろうか」という不安を抱えながらも、「強くなりたい」「勝ちたい」という思いを胸に入部しました。 この4年間を振り返ると、小学1年生から続けてきた陸上競技の集大成のような時間だったと感じます。怪我で思うように走れない時期もありましたが、その中でも自己ベストを更新できた瞬間、結果を残すことができた瞬間があり、一つひとつの経験が自分を成長させてくれました。 また、選手としてだけでなく主務としての役割も担い、想像以上の大変さや責任の重さを感じることもありました。さらに3年生時の世代交代では主将という大役を任され、チームを背負う立場として多くのことを学びました。選手としてだけでなく、さまざまな役割を経験したこの4年間は、人としても大きく成長する時間だったと思います。 そして、全日本インカレの4×100mリレーで優勝することができた瞬間は、これまで積み重ねてきた努力や想いが報われたような気持ちでいっぱいでした。同時に、主将としてチームに貢献できたことを心から嬉しく感じました。 苦しいことも嬉しいこともすべて含めて、この4年間は自分にとってかけがえのない時間だったと感じています。 このような経験ができたのは、支えてくださった先輩方、同期、後輩たちの存在があったからこそだと思います。 同じ目標に向かって、学年に関係なく支え合い、互いに努力し合える仲間がいたからこそ、どんな時も乗り越えることができました。 このチームで過ごした時間、出会えた仲間、経験したすべてが、自分にとってかけがえのない財産です。 4年間、本当にありがとうございました。 1年生へ 1年生の皆とは、例年より一緒に競技に取り組めた時間は短かったですが、皆がこれから中央大学をトップへ導くキーマンになれると信じています。いや、もうすでにその存在になっています。応援しています! 2年生へ 2年生は、競技力・人間力ともに本当に素晴らしい選手ばかりです。来年は就職活動も始まり、大変な時期になると思いますが、より良い成績を残してくれることを期待しています!皆の活躍...

2025年度部員ブログ vol.56 松嶋飛希(4)

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こんにちは。  千葉県の同士、常泉から引き継ぎました、法学部4年の松嶋飛希です。 今回は卒業ブログということで、これからそれぞれの道へ進み、離れ離れ(寂しい)になって しまう同期の仲間たちについて綴らせていただきます。 ということで、同期をあいうえお順に紹介していくとともに面と向かっては言えないよう な本音とかも書いていきます笑  他の方々のブログと比べてかなりカジュアルな内容になると思います笑 また、身内にしかわからないような内容もあるかと思いますが、少々お付き合いいただける と幸いです。   【麻生悠斗】 東京出身の400mH選手で我らが元副主将  とにかく人に好かれやすくて、先輩後輩関係なくたくさんの人に慕われてる人望の塊みた いなやつでそこは普通に尊敬してる 慕われすぎて多分同期より先輩か後輩と遊んでることの方が多い笑  あと寮の自転車トラブルの犯人は大体麻生   【今井颯良】  指定校推薦で入ってきた神奈川出身の100m200m選手  入寮して最初の部屋が隣ですぐに仲良くなってた気がする  最初に仲良くなったからか、今井には何も気を遣わずに結構雑に扱ってました ごめんね笑   【鈴木美晴】  埼玉出身で三井が連れてきてくれた同期唯一のマネージャー  2 年の途中に入ってすぐの頃は物静かな子なのかなーって思ってた でも全日本インカレ終わったくらいからどんどん打ち解けていって、実際はめちゃくちゃ ノリがよくて面白い子でした笑 男だらけの中で、気を遣うことや大変なことも多かったと思うけど最後まで続けてくれて 大感謝です   【檀上翔多郎】  広島出身で身長以外が大きい元主将の100m200m選手 3 年の秋に「俺は来年4継の1走を走る」って宣言して次の年の全日本インカレ4×100mR の1走を走って優勝してきた有言実行のめちゃくちゃかっこいい男  入寮してすぐの頃は「広島の方言って語気強いなー」とか思ってたけど実際は檀上がめちゃ くちゃキレ性なだけでした笑   【常泉光佑】  幅跳び、三段跳び選手、同じ千葉出身で高校からの仲  真...

2025年度部員ブログ vol.55 常泉光佑(4)

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 こんにちは。 同じ関東出身で努力家の村上から引き継ぎました、文学部学びのパスポートプログラムの常泉光佑です。ブログを書くのは今回が最初で最後になりますが、引退という節目に、これまでの部活動を振り返りながら自分の思いを書きたいと思います。 私は本当に多くの人に支えられ、恵まれた陸上人生を送ることができました。監督やコーチ、部活の仲間たち、そして他校のライバルなど、多くの人との出会いが自分の成長につながり、充実した競技生活を送れたと思います。中学、高校、大学、そして社会人になる節目ごとに、いつも周囲の人に恵まれてきたと感じています。そんな環境の中で陸上を続けてこられた自分は、本当に幸せ者だと思います。それぞれのチームに特別な思いがありますが、今回は大学での4年間について少し触れたいと思います。 大学での4年間は、さまざまな怪我を抱えながらの競技生活でした。高校の頃に比べて思うように跳べないもどかしさに悩まされながら、競技に取り組んでいました。毎日真剣に競技と向き合ってきましたが、どこか物足りなさを感じ、焦り続けていたように思います。 そんな中で、チームのみんなが関東インカレや全日本インカレで活躍する姿は、本当に心から嬉しいものでした。そして、その中でも特に同期や跳躍ブロックの存在には何度も支えられました。同じブロックに同期はいませんでしたが、怪我で苦しい状況にありながらも周りを支え続け、自分自身も復帰に向けて努力する同期や、自分の目標に向かってひたむきに頑張る同期の姿に、何度も気持ちを救われました。みんなの頑張りは、「次は自分が結果を残したい」と思える原動力になっていました。 また、跳躍ブロックでは2年間ブロック長を務めましたが、なかなか上手くいかず、背中で引っ張れるようなリーダーではなかったと思います。それでも、ブロックの雰囲気はとても良く、たくさんの刺激をもらいました。一緒に練習する中で、後輩たちは自分で考えたことを実践に移す力があり、日々着実に成長しているように感じていました。跳躍ブロックの後輩たちは本当に力のある選手たちなので、自信を持ってシーズンに挑んでほしいと思っています。 最後になりますが、この4年間をここまで続けてこられたのは、周りで支えてくださったたくさんの方々のおかげです。上手くいかないこともありましたが、それも含めて自分にとって大切な経験...

2025年度部員ブログ vol.54 村上龍一朗(4)

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みなさんこんにちは! 超絶足の速い三井から引き継ぎました、商学部4年の村上龍一朗です。 彼は普段マイペースな性格でおもしろい奴ですが、陸上競技に対する熱意、努力量やその姿勢はチームNO.1だと思います。直接言えてはいませんが、そんな彼を心から尊敬しています。 さて、私自身今までこういったブログを書いたことがないので、何を書いたらいいか悩んだのですが、中央大学で陸上をやろうと思ったきっかけと、1番お世話になった800mブロックへの感謝を綴ろうと思います。 拙い文章ですが、最後まで読んで頂けると嬉しいです! まず、私の高校時代は強豪校には所属しておらず、ほとんど独学で陸上競技に取り組んでいました。 当時インターハイ出場を目標に掲げ努力してきたつもりでしたが、その目標を叶えることは出来ませんでした。 その過程で、せっかくここまで本気で取り組んできたのだから、一度くらい日本一の環境で自分を磨いてみたいという想いが芽生え、受験勉強の末、中央大学に入学しました。 入学当初、一般生が入部できるかも分からず、がむしゃらに競技場に行ってみるしかないと足を運び、入部したい想いを直談判しに行った日のことを今でも鮮明に覚えています。 そこから1か月の仮入部期間を経て、正式に入部させて頂きました。 しかし、自分が望んで選んだ日本一の環境は、とてつもなくレベルが高く、必死に背中を追うことで精一杯でした。その中で度重なる怪我に苦しみ、中々結果を出すことが出来ず、精神的にも苦しい日々が続きました。 それでも、足を止めずに進み続けられたのは松井コーチや800mブロックの先輩方、Team Ambitionの方々が、実力が大きく離れた私にも親身になって、諦めずに指導し続けてくださったおかげです。本当に感謝と尊敬の念しかありません。  1年次は、自分自身本当に苦しい日々でしたが、それと同時にこの大学を選んで本当に良かったと思えた日々でもありました。 また、2.3.4年と学年が上がるにつれ、かわいい後輩達にも恵まれ、その存在にも幾度となく救われてきました。毎日練習の際のたわいのない会話が私はとても楽しく、大好きな時間でした。厳しい練習の日々でも楽しみにやってこれたのは間違いなく彼らのおかげです。 ほんとにありがとね。 本当は、800mブロックのメンバーのおもしろいところを綴りたいのですが、一冊の本が出来てし...

2025年度部員ブログ vol.53 三井一輝(4)

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 はじめまして。 部活のアイドルみはるちゃんから引き継ぎました、法学部法律学科四年の三井一輝です。 桜の開花が待ち遠しい今日この頃。 この時期になると、中央大学の門を叩いた四年前の自分の姿を思い出します。 あの頃は、これから始まる大学生活に大きな期待を抱いていました。 気づけばもう四年。 このような機会をいただいたので、少し自分の大学生活を振り返ってみたいと思います。 高校を卒業した自分は、希望に胸を膨らませて中央大学の門をくぐりました。 「自分ならいける。」 根拠のない自信がありました。 しかし、思うようにはいきませんでした。 11秒台の連続。 練習はきつく、思うような結果も出ない。 誰からも期待されていないように感じ、どこか疎外感のようなものもありました。 自信もどんどんなくなっていきました。 部活を辞めたら楽なんだろうな、と考える日も増えました。 そんな自分を信じてくれたのが、藤原さんでした。 「三井が中大に進学すると聞いたとき、嬉しかった。お前ならもっといける」 藤原さんが言ってくれたその言葉を、今でも覚えています。 何が正解で、自分のどこが間違っているのかも分からず、希望を持てなかった自分にとって、その言葉は一つの光でした。 常に高みを目指している藤原さんの姿は、自分にとって憧れの存在でした。 練習への向き合い方。 アップ。 生活リズム。 食事。 サプリメント。 プロテイン。 できることは、できる限り真似しました。 何をやればいいのか分からず走っていた自分に、 「やるべきこと」と「目標」を教えてくれたのが藤原さんでした。 自分の大学陸上は、ここから変わりました。 そんな憧れの藤原さんは、よく自分に目標を聞かせてくれました。 「強い中大を作る。 もう一度、昔みたいに短距離が強い中大を作りたい」 強さを示すには、全カレのリレーで優勝すること。 そして学生記録を出すこと。 その話を聞いたとき、自分は圧倒されました。 当時の純短距離ブロックは、優勝を狙える状況ではありませんでした。 トップの大学とは、明らかに差がありました。 それでも藤原さんは、本気でした。 なぜなら、その目標に必要なことを藤原さんはすべて実行していたからです。 言葉だけではありませんでした。 その姿を見ているうちに、いつの間にか自分の中にも一つの思いが生まれていました。 「優勝するメンバ...

2025年度部員ブログ vol.52 鈴木美晴(4)

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 はじめまして。 後輩想いで将来は億万長者の西山くんから引き継ぎました、経済学部経済情報システム学科4年の鈴木美晴です。 卒業まで残り2週間を切り、寂しい気持ちでいっぱいです。 このブログでは、中央大学陸上競技部で過ごした時間と、みんなへの感謝について書かせていただきます。 拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 私が中央大学陸上競技部に入ったきっかけは、中学の同級生であり、同じ陸上部に所属していたみっちゃんこと三井一輝くんに誘われたことでした。 2年生から参加した私は、同期のマネージャーもいなかったため、最初はどこか孤独を感じていました。その頃の私は、誰かを頼ることに少し抵抗があり、自分で何とかしなければと思ってしまうこともありました。 しかし、自分の判断が間違ってしまえば、それは選手にも影響してしまいます。そんな中で意識するようにしたのが、わからないことはすぐに聞くこと、選手に積極的に声をかけることです。 少しずつ行動するうちに、2年生の全カレ以降から選手やマネージャーと話す機会が増え、選手一人ひとりが求めているサポートが少しずつ分かるようになっていきました。 そして、選手が結果を出したり、サポートに感謝してくれたりする度に、マネージャーをやっていてよかったと感じられるようになりました。 大会はもちろんですが、日々の練習から頑張る選手の姿はとてもかっこいいです。 例えば、練習でレストの時間を読み上げると、「えー早いって」「ほんとにちゃんと計ってる?」とみんな辛そうな顔をしながら言ってきます。 それでも、いざメニュー開始の時間になると手を抜くことなく最後まで走り切ります。 練習からずっと近くで選手を応援できるのはマネージャーの特権です☆ 最終学年では、マネージャー長という役割を任せていただきました。 最初は、周りに心配をかけてしまったことも多かったと思います。 それでも、後輩マネージャーたちは本当に頼もしくて、主体的に動いてくれました。 大会ごとの反省点の共有や業務のマニュアル作成など、みんなで何度も意見を出し合いながら、少しずつ業務の改善を進めていきました。 マネージャーのグループLINEは動かない日はないんじゃないかというくらい活発で、日々たくさんの報連相が飛び交っていました。 常に「選手にとって何が一番いいのか」を考えて行動で...

2025年度部員ブログ vol.51 西山雄志(4)

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 みなさんこんにちは。 法学部法律学科4年の西山雄志です。 私からは、これまでの競技生活を振り返りながら、そこから得た学びと、これからの生き方についてお話しできればと思います。 まずは、ここまで関わってくださったすべての方に心から感謝しています。 先輩、同期、後輩、そしてプライベートで支えてくれた方々。多くの人に助けられながら、これまで競技生活を続けることができました。 私は小学5年生から陸上競技を始めました。 しかし最初から順調だったわけではなく、なかなか結果が出ず、辞めて別の競技に挑戦しようかと悩んだ時期もありました。 やっとの思いで出場できた中学での全国大会は予選敗退に終わり、かなり落ち込みました。 しかし同時に、「日本一を取りたい」という思いがより明確になった経験でもありました。 高校では日本一を目指し、東福岡高校に進学しました。 練習は非常にハードで、特進コースに所属しながら部活動を続ける生活は想像以上に厳しく、ご飯を食べながら寝てしまうような時期もありました。 それでも、尊敬できる指導者や仲間と同じ目標に向かって努力する日々は、何よりも充実した時間でした。 インターハイで優勝したときの達成感は、今でも忘れることができません。 大学でも素晴らしい仲間と環境に恵まれ、全日本インカレや日本選手権で2位という結果を残すことができました。 中学生の頃から「競技は大学まで」と決めていたため、大学では競技だけでなく、アルバイトや長期インターン、ボランティアなどにも取り組みました。 競技以外の世界にも目を向けることで、「自分はどのような社会人になりたいのか」を考える4年間でもありました。 ここからは、私の価値観について少しお話しさせてください。 「がんばったら報われると思えること自体が、努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないでください。」 とある大学の祝辞でこの言葉を知ったとき、強く印象に残りました。 競技に打ち込んでいた頃の私は、結果を出す人間が正しく、結果を残せない人や努力できない人はそれまでの人だ、という考えをどこかで持っていました。 しかし、競技以外での経験やこの言葉に触れたことで、自分は恵まれた環境の中で「努力すれば報われる」と信じて生きてこられたのだと気づきました。 振り返ると、これまで結果を残すことができた要因は、自分の努力だけではな...

2025年度部員ブログ vol.50 今井颯良(4)

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 東福岡出身の中島から引き継ぎました、今井です。 中島とは部活動だけでなく、バイト仲間でもあるので、同期の中でも一緒にいる時間が長いような気がします。春からはお互い社会人になりますが、お互いの勤務地も近いみたいです! これからもよろしくね さて昨年10月を持ちまして、僕の14年間の陸上人生は幕を下ろしました。僕に取っては最初で最後になるこのブログですが、せっかく頂いたこの機会に想いを綴らせて頂きます。長くなるとは思いますが、少しでも読んで頂けると幸いです。 そもそも僕が中央大学を選んだ理由は、一個上の先輩に「藤井和寿」さんが在籍していたからです。僕自身、陸上競技で大きな成績を残せた訳ではないので、指定校推薦を利用しての入学にはなりましたが、藤井先輩が中央大学に入学をしたことを知った時から、絶対に中央大学に入学すると決めていました。藤井先輩とは小学校の陸上教室から同じで、中学時代には同じ学校でリレーも組ませて頂きました。中大陸上部には、全国大会のファイナリストや全国制覇を成し遂げてる方がたくさんいました。僕もその環境に身を置けることに期待を膨らませていましたが、練習はそれまでのどんな練習よりも過酷なもので、心身共に疲弊しきっていました。入部して1年目では練習メニューは消化しきれない、先頭を走る先輩方の後ろを走るだけの日々。「周りは自分よりも足が速い。同じメニューをやっても勝てないのは当然だ。」そんな言い訳を自分に言い聞かせながら練習をする日々でした。自分を守るための言い訳を重ねる事でいつしか「負け癖」がついていました。大学陸上のターニングポイントとなったのは、恩師である藤井先輩と練習をしてるある時のことでした。「このセットで出し切るわ」この一言。練習メニューはまだ残っているというのになぜ?そんな疑問を僕は持っていました。言葉通り、藤井先輩はそのセットで持てる力を出し切り、先頭でゴールをして倒れ込んでいました。最後のセットはフラフラな状態でゴール。僕はその姿を見て感銘を受けました。「後先を考えて、ペースを落としてでも練習をやり切る」という考えも、もちろん間違いではないと思います。ですがやはり、「たくさんある本数の中で1本だけでもいいから一矢報いて、存在感を示す」それが僕に必要なことであると思いました。 「自分より足が速いから勝てないのは当然。」と考えるのではなく...

2025年度部員ブログ vol.49 中島陽基(4)

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おそらく大学生活の中で1.2を争うほど同じ時間を過ごしてきた麻生から引き継ぎました。 法学部法律学科四年の中島陽基と申します。専門種目は400mHをやっておりました。 さて何を綴ろうかと考えたところ無難にこれまでの陸上人生の振り返り程度しか思い付きませんでした。長い自分語りになりますがぜひお付き合い頂けますと幸いです。 私の陸上人生の始まりは中学1年生の時、部活動選びの際に父がやっていたこともあり陸上部に入部したことでした。最初は棒高跳びをやっていました。転機は中2の夏、遊びでハードルを飛んでいたら当時の顧問(上妻先生)に「遊ぶくらいなら本気でやれ」と言われたことです。その結果陸上で大学に進学できたので上妻先生には感謝しかないです。因みに上妻先生は黒木君の中学の先生でもあります。 高校は自分の人生の中で最も順調に進んだ期間だったと思います。記録も年々伸び、成績も陸上を始めた当初では考え付かない程残すことができました。実際この期間は何でもうまくいくように感じてました。 大学に入学してからは陸上に関しては自分が思い描いていたものとは全く違う結果になりました。1年時はタイムがボロボロ、2年次以降は頻発する怪我に悩まされました。最後まで納得のいく結果を残すことができず、たらればが多く残ってしまいました。 私が陸上を通じて学んだことはうまくいく時もあればうまくいかないときもあるということです。そこから目の前の結果に一喜一憂しないことも大事であると考えるようになりました。 とは言っても人間うまく行っている時は自分1人でも目標に向かえるのに対して、うまくいかない時には1人ではなかなかやれないものです。そんな時こそやはり友人や周りの人に支えられていることを自覚するものです。私の場合それこそ麻生には大きく支えられました。あまり良くないことですが怪我するタイミングが一致することが多く、リハビリなど2人でやることができたのが腐らずに陸上を続けられた大きな要因だと思います。 改めてここまで育ててくれた両親、支えてくれた友人、コーチ、監督、OB、後輩、マネージャーの皆様に対して感謝の気持ちでいっぱいです。今までありがとうございました。 4月からは社会人になるので陸上で学んだことを活かし、負けずに頑張っていこうと思います。 以上長めの自分語りでした。 次回はマクドナルドバイト仲間の今井です。 ...

2025年度部員ブログ vol.48 麻生悠斗(4)

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こんにちは。  元部屋子で経済学部の可愛い後輩である伊東遼也から引き継ぎました、経済学部4年の麻生悠斗です。 普段彼はいじられキャラを務めていますが、その裏で陸上競技に真剣に向き合い努力している姿がとてもかっこいい選手です。この前はお風呂場で後輩の相談に長時間乗っている所を目撃し、皆から信頼を置かれる片鱗を垣間見ました。そんな人間性抜群の彼が今シーズン活躍してくれる事を願って応援しています!頑張ってね。 さて今回は、最初で最後という事で、4年間を振り返った想いを綴りたいと思います。少々長くなりますが、お付き合いいただけると幸いです。 私は、4年前の3月、「中大に競技力で貢献できる選手に成長する」という夢を抱いて中大の門を叩きました。この日のことは鮮明に今でも覚えています。そこからの4年間を振り返ると、競技人生の中の終盤にして、長く苦しい終わらないトンネルに入っていたような感覚でした。何をするにもうまくいかず、怪我に怪我を重ねて、もどかしさとストレスで、冬季中に不眠症になった事もありました。それでも、いつか自分の出番が来る事を信じて、精一杯自分のやれる事をやり尽くしましたが、現実は残酷で、思うように走れないまま引退する事になってしまいました。もう途中で何回も辞めたいと考えましたが、最高に恵まれた仲間、環境のおかげで、なんとか4年間走り続ける事が出来ました。 そんな思い入れの強いチームだったからこそ、去年の関カレ、全カレの4継は全身の血液が沸騰する様な感覚に襲われました。仲間の走りとはいえ、たった数秒間の他人の走りにこんなに心を奪われるのかと。感動しすぎて、踊っている遼也ですら輝いて見えました。皆がこの部活を好きだからこそ皆でこんなに熱くなれるのだと思いました。そんな熱い中央大学陸上競技部が私は大好きです。 そして周志さん、上記の苦しい時期から本当に長い間面倒を見ていただき、ありがとうございました。どんな相談も親身に受けてくれて、私だけじゃなく、周志さんに救われた後輩は沢山いると思います。誰からも愛される周志さんのサポートに今度は自分が回らせてください。沢山こき使ってください宜しくお願い致します。 宮崎さん この部活の内政が徐々に変わるきっかけを作ってくださった宮崎さん。選手のためにいらない古い文化を捨て去る決断を下し、後輩の為に率先して動いてくれた主将でした。...

2025年度部員ブログ vol.47 札内諒(1)

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 みなさん、こんにちは。 北海道出身、短距離ブロック1年の札内諒と申します。 内容が他の方と重なってしまう部分もあるかと思いますが、自分自身の歩んできた道と今の想いを綴らせていただきました。最後まで読んでいただけますと幸いです。 僕が本格的に陸上を始めたのは、小学2年生の冬だったと思います。幼稚園の頃から試合には出場していましたが、クラブチームに通い始めて練習を始めたのがその時期でした。6歳上の兄が陸上をやっていたことが、競技を始める大きなきっかけでした。幼い頃、兄の大会を応援するために全国各地へ足を運んだことを今でも鮮明に覚えています。大きな舞台で走る兄の姿は僕にとって大きな刺激であり、兄が走る時は自分が走る時以上に緊張していたかもしれません。「兄の弟なのだから、きっと自分も大きな舞台で走れる選手になれる」――当時はそんな風に、どこか根拠のない自信を持っていました。今振り返ればかなり甘い考えですが、当時の僕は本気でそう信じていました。 小・中学校と練習に励んでいましたが、兄ほどの努力はできていなかったと思います。高校受験のために半年以上競技を離れ、高校の陸上部に入部したのは1年生の秋でした。当初は「この高校の選手として大会に出たくない」という身勝手な理由で入部を躊躇していましたが、時が経つにつれて「やはり走りたい」という気持ちが勝り、入部を決意しました。高校2年生では、中学の延長で400mに取り組みましたが、記録は一向に伸びませんでした。当初は高校で陸上を辞めるつもりだったため、「最後は自分の好きな100mで勝負したい」と考え、2年生の冬から短距離向けの練習に切り替えました。この高校2年生の冬季練習は、大学での練習を除けば、これまでの人生で最も努力した期間でした。そこで初めて、兄が血の滲むような努力をしてあの舞台に立っていたのだと気付かされました。毎日日誌を書き、それをもとに弱いところを潰していき、監督にアドバイスを求め、一切の妥協を捨てて練習に打ち込みました。3年生の初戦でハムストリングスを痛めてしまい、万全ではない状態で全道大会を迎え、結果は準決勝敗退でした。当然悔しさはありましたが、僕には次なる目標がありました。それは「中央大学の陸上部で競技を続けること」です。 5月の支部大会で、1つ上の先輩で同じクラブチーム出身の館山さんと再会し、中大進学への思い...

2025年度部員ブログ vol.46 橋本龍太(1)

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 みなさんこんにちは! 法学部政治学科一年の橋本龍太です。 私は今年度、仮入部として練習に参加させていただいていましたが、 3 月から正式に中央大学陸上競技部の部員として入部しました。今回このブログを書くことになったのですが、急遽決まったこともあり、まだ頭の中でうまく整理できていない部分もあります。ですが、この場を借りて、私のこれまでとこれからについて綴らせていただければと思います。拙い文章ではありますが、温かく見守っていただけると嬉しいです。 皆さんのブログは遼也さんが締めてくださったので、私の文章は少し番外編のような形になるかもしれませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。   それでは、私のこれまでについて少し詳しくお話ししたいと思います。 私が陸上競技に出会ったのは小学 2 年生の時でした。地元である長崎県で国民体育大会が開催されており、母に連れられて初めて陸上競技場に足を踏み入れました。そこで見た光景は、今でも鮮明に覚えています。選手たちが自分の体ひとつで誰よりも速くゴールラインを越えるために、必死に走り、 0.01 秒を削り出そうとする姿に強い衝撃を受けました。その瞬間、胸が高鳴り、「自分もやってみたい」という気持ちが自然と芽生えました。そこから陸上教室に通い始め、練習を重ねる日々が始まりました。小学 5 年生の時には初めて全国大会に出場することができました。結果は 5 位。当時の自分にとっては想像もしていなかったほどの結果で、正直とても嬉しかったのを覚えています。ただ、その結果に少し満足してしまい、「来年もきっといけるだろう」という甘い気持ちを持ってしまいました。そこからの一年間は、今思えば本当に反省すべき時間だったと思います。練習に対する意識が低くなり、遊ぶ時間ばかりを優先してしまっていました。そして迎えた小学 6 年生の全国大会。結果は予選落ちでした。前年の結果があった分、悔しさも大きく、自分の甘さを痛感する出来事でした。この経験は、自分にとって大きな転機になりました。努力を続けなければ結果はついてこないという当たり前のことを、身をもって学んだ瞬間でもありました。それ以降、陸上競技に対する向き合い方が少しずつ変わっていきました。        ...

2025年度部員ブログ vol.45 伊東遼也(3)

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 部員日記をご覧のみなさんこんにちは!!現役生ブログの締めを務めます。 神奈川県横須賀市出身、短距離3年の伊東遼也です!   今冬季順調に練習を重ね、今シーズン最も自分が期待している後輩であり、同じ神奈川出身として絶対に負けたくない南嶋から引き継ぎました。 南嶋とはPBが0.01秒しか変わらず昨シーズン激しく競い合い、今シーズンもお互い切磋琢磨し合うのでぜひ応援よろしくお願いします。   皆さん中央大学陸上競技部のブログ見ていただけてますでしょうか?!僕は1部員として部員の想いや過去経験を見て、胸の内側から熱い気持ちが湧きまくっています。こんな良い機会を与えてくださったマネージャーに感謝しかないです。ありがとう!!!   さてブログを書くにあたって何を書くか滅茶苦茶悩みました。陸上の面白さを書くか、つらい過去を話すか、はたまたネタに走るか、、、 伝えたいことがありすぎて本当に悩みました(笑) たくさん悩んだ末、「流石に真面目に書こう。」と思い真面目なことを書きます! 僕の顔やキャラからして真面目なこと書くのだと思う方もいると思いますが、実は僕、結構真面目なのですよ♡   僕が書く内容は二つです。 一つ目は “大学陸上のこれまで” 二つ目は “大学陸上のこれから” についてです。とても長くなるとは思いますが僕の本音ですので読んでほしいです。   “大学陸上のこれまで” 入部してすぐ僕は大学陸上のレベルの高さに驚き、自分がとても小さく見えました。 全国入賞や出場は当たり前の世界で、僕の成績はたったの県5位。高校までは自分は神奈川で5位なんて結構すごいやろと思っていましたが、井の中の蛙でした←(実際同期に言われショックでした) 入部してから僕は10秒台が全く出ず怪我を繰り返し、何度もやめたいと思う中。追い打ちをかけるように先輩のおもちゃにされ、ネタキャラへと変貌を遂げました。正直スポーツ推薦でもないし、辞めても何も言われないし、辞めたらどれだけ楽なのだろうと頭の中で問い続けていました。でも僕はこんな状態になっても諦めなかったです。なぜか? 【足が速いやつがとにかくかっこいいから】そして【周りに応援してくれる仲間がいるから】苦しみながらもこの二つの理由が自身を突き動かしてくれました。多くの先輩、同期、後輩のおかげで運...

2025年度部員ブログ vol.44 南嶋涼(2)

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初めまして。 この度藤山さんから引き継ぎました、南嶋涼と申します。 出身校は中大附属横浜で、種目は100mをやっております。 藤山さんはムードメーカーで、彼がいると部の雰囲気が3トーンくらいぱっと明るくなります。また、ただ面白いのではなく周りの空気感や相手の様子をしっかり見ている優しい方です。その観察から誰も不快にならずにみんなが笑顔になる面白さを産んでるんだろうなと思っていて、同期と同じ代にいて欲しいという話をよくします。笑 藤山さん、沢山褒めたので今度学食奢ってください✨️   初めての部員日記なので、自分の陸上をここまで続けている理由について綴らせてください。普段真面目な話をするキャラではないので、かなり恥ずかしいです。(恥ずかしすぎて文章出来上がってるのに送信する勇気が出ず、2日提出期限を伸ばしました。廣島本当にごめんなさい笑) 拙い文章になるかと思いますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。 さて、私はスポーツ推薦ではなく一般入部の為、陸上部に入れていただいた立場でこのような事を考えているのは大変恐縮なのですが、私は陸上を辞めようと本気で思うタイミングが何回かありました。 直近でも、陸上人生の分岐点になるくらい辞めるか悩んだタイミングがありました。昨年の10月です。 まず、私は入部させていただけると決まった高3の秋に、大2までに10.4台〜5台前半を出せなかったら陸上を辞めるというルールを自分につけました。伝統のある強豪の中大のユニフォームを着たいという人は沢山いる。その中でもごく限られた人しか入部出来ないのにも関わらず、中途半端なタイムで続けるのは偉大な先輩方や中大陸上部に対して失礼だと考え、そんな状態で続けるべきではない、他に頑張れることやるべき事を探そうと思ったからです。 もちろん大好きな陸上を辞めたくないですし、少しでも同期に追いつく為にこの2年間必死に試行錯誤を繰り返し、ようやく昨年の秋シーズンで設定した記録に近づくことが出来ました。 生憎、全て向かい風だったので追い風が吹く試合で走れば出せる思い、ピーキングを重ねて調子が最高潮に良くなった矢先、2型2〜3度の肉離れをしてしまいました。 元々痛めていたり怪我をしそうな前兆があった訳でもなく、ただただ調子が良すぎて自分の体が着いてこなかった。私はこれが自分の限界だと思いました。自分が決めて...

2025年度部員ブログ vol.43 藤山健伸(3)

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  こんにちは!日本代表としての選出、そして「中大の顔」としての目覚ましい活躍。そんな 華々しい功績を持つ田邉からバトンを受け取りました、 3 年の藤山健伸です。 本日は 2/22 猫の日です!こんなにおめでたい日はないです。みんなで猫ちゃんを可愛がり ましょう!!私はアレルギーなので触れません。なので可愛いワンちゃんの動画を見ときます。 本日のブログでは、何を書くべきか熟考した結果、極めてオーソドックスではありますが、 私が短距離走という種目に行き着いた背景と、競技の幕を閉じる 「これから」 への決意について、改めて整理していこうと思います。 私の陸上競技人生の幕開けは、中学 1 年生の春でした。 動機は至ってシンプルで、父と 兄が陸上経験者であり、ただ単に真似をしたにすぎません。 競技を始めた当初の私は、自身に何が向いているのか把握できていませんでした。顧問の 助言に従い、まずは 1500m に出走。記録は”6 分” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示 板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく6と刻まれていました。「まぁええ わ、やーめよ」 これは明らかに「不適合」であると直感し、すぐさま 100m へと舵を切ります。記録は”1 4.21” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく14.21と刻まれていました。「さいあく」 ならば「中間の距離なら活路を見出せるのではないか」という安易な仮説に基づき、800m に挑戦しました。”2分51秒” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく2分51と刻まれていました。「おわった」 これが私の中学 1 年生時点での「全自己記録」です。全種目地区大会敗退。同期からは容 赦のない嘲笑を浴び、当時の私は反論の余地すら見出せませんでした。 中学2年春。楽だから短距離一本に集中してみたよん。 もちろん、前年の惨敗が私の中に 悔しさとして残っていたことは言うまでもありません。そこで私は、シンプルかつ実効性の 高い一つの仮説を立てるに至りました。 「県内トップレベルの先輩を練習で凌駕すれば、必然的に試合での勝率もあがるんじゃね」 今思えば極めて浅はかな思考ではありましたが、当時の私はこの仮説の検証に全ての心血を注...

2025年度部員ブログ vol.42 田邉奨(2)

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​ 山下 美京さんより引き継ぎました。 400mブロック2年の田邉奨です。美京さんは、広尾高校陸上部時代からの後輩ですが、当時からの呼び方が定着してしまっていることに加え、彼女への敬意を込めて、現在も“さん”付けを継続しています。 彼女は、自身に与えられた役割を果たすだけでなく、他人のために目の届かないところでも気を配っている姿が厚い信頼を集めており、この先ずっと変わらない、僕の一番自慢の後輩です。 残る2年間、結果を出し続けることで、日々のサポートに少しでも恩返しができたら嬉しいです。これからも一緒に頑張ろう。 僕が1年生の頃からリクエストしていた念願の部員日記の機会をいただきましたので、今回は僕の陸上に対する想いを綴らせていただきます。 僕は5歳から10年間サッカーをしていました。 高校入学までの人生において、僕という人間の全てだったサッカーには、楽しさを感じていたものの、今振り返れば100%の力を注ぐことはできていなかったなと思います。 プロになりたいと口では言いながらも、負傷やミスを恐れ、上達するための努力も疎かにしました。 そのような僕の性格とプレースタイルで仲間からの信頼を得ることができるはずもない状況の中、中学時にはチーム内の人間関係に悩み辛い思いをし、サッカーを辞めることになりました。 しかし高校で陸上と出会い、僕は変わることができました。 陸上は、自分の身体が全て。 陸上と出会ってから、他人の評価や言葉ではなく、自分の思いを自分に全てぶつけられるようになりました。 それからは自分に自信が持てるようになり、他人とも深い関係を築けるようになっただけでなく、つらい練習や受験勉強を乗り越えられたのも、こうした変化があったからに他なりません。 失敗を恐れ萎縮するばかりだった僕が 僕にしか出来ないことを、僕にしかできない方法で実現させることで、僕の価値を示したい。 そう思うようになり 今ではそのための努力の楽しさも、苦しみも、喜びも何もかもが面白いと感じられています。 一生満たされていて、一切満足がない 陸上をしている今の人生を言葉にするとそんな感覚です。 内から湧き出て止まらない好奇心と、それを共有できる大切な仲間をくれた陸上。 本当にありがとう。 そして、競技自体の魅力だけでなく、 僕を突き動かす原動力となるものが、もう1つあります。 それは、僕の走りを自...

2025年度部員ブログ vol.41 山下美京(1)

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 こんにちは。同期の福村優大から引き継ぎました、1年マネージャーの山下美京と申します。 福村はとにかくものすんごくいい子です。どんなに長い距離を走った後でも、マネージャーが動画やタイムを渡しに行くと必ず感謝の一言をくれます。すんごくいい子です。 入部してから10ヶ月、たくさんの同期や先輩方に仲良くしていただいて、実は人見知りだった私も毎日わくわくしながら部活に通わせていただいています。本当なら、マネージャーである私は選手の皆さんを励ましたり、元気づけたりすることも仕事のひとつだと思うのですが、いつもニコニコを絶やさず、時々おかしなことを言って周りを笑顔にしている皆さんを見ていると逆に私が励まされて元気づけられているような気がします。本来なら逆です。いつも本当にありがとうございます。これからも元気いただいちゃうかもしれません。お願いします。 そんないつもニコニコの選手の皆さんですが、走るということになると一気に雰囲気が変わります。音や周りの空気も選手が走り出すと一瞬で変わる気がします。私の日本語の語彙が乏しいのでありきたりな形容しかできないのですが、本当にキラキラしていて、かっこいいと思っています。ただの1人の大学生の私がそんな選手の皆さんをサポートさせていただけるということは、恐れ多いことだという思いと、選手の皆さんの努力に見合うくらい優秀なマネージャーにならなければいけないなという思いで最近はいっぱいになっています。 マネージャーになってから10ヶ月経過して、優しい先輩方に教えていただいたおかげで4月よりずっとできることも増えましたが、まだできないこと、中途半端に苦手なこと、やったことのない仕事もたくさんあり、マネージャーとしてまだまだ未熟です。ミスをして落ち込んでいる間にもうひとつミスをして、帰りの高幡不動駅で自分の仕事のできなさに泣いていたこともたくさんあります。でもそんな時には必ず、自分がどんなマネージャーになりたいか、理想のマネージャー像について考えて、ミスがなくなるように練習したり、落ち着いて行動できるように修行しています。 私の理想のマネージャー像は、空気みたいなマネージャーです。私はマネージャーという立場で、選手の皆さんが日々感じているたくさんのことを完全に理解することはできません。もし選手が落ち込んでいたりしても、先輩方のように気配りのある...

2025年度部員ブログ vol.40 福村優大(1)

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 こんにちは。 同じ北海道出身である三年生の酒井大和さんから引き継ぎました、商学部経営学科1年の福村優大です。専門種目は400mです。 高校時代、北海道で活躍されていた大和さんと同じ大学に進学し、このような形で部員日記を引き継がせていただくことを大変光栄に思います。 今回は、12年間陸上を続けてきた中で、私が実感していることを二つお話しさせていただきます。 一つ目は「緊張」についてです。 同じ大会に出場したことのある方はご存じかもしれませんが、私は極度の緊張しいです。試合の1〜2時間前になると、誰とも会話をせず、一人でうずくまって過ごすことがルーティンとなっているほどです。 特に印象に残っているエピソードは、小学5年生の全国陸上です。初めて立つ全国の舞台で、体格の大きな選手や多くの観客の存在に圧倒され、これまでに経験したことのない緊張を感じました。その結果、予選と準決勝でそれぞれ一度ずつフライングをしてしまい、さらに0.01秒差で決勝進出を逃しました。あの経験は、自身の未熟さとメンタル面の弱さを痛感する出来事でした。 緊張せず、自分の力を信じて堂々と競技に臨める選手を、私は心から尊敬しています。自分の努力を信じ、失敗を恐れず挑戦する姿勢は本当に立派だと感じます。 だからこそ今年は、自分自身を信じ、恐れずに挑戦し続ける一年にしたいと考えています。 昨年は自身の力不足を痛感し、思うような結果を残すことができませんでした。しかし冬季練習において田邊さんが作成してくださったメニューに取り組む中で、少しずつ走りと自信を取り戻すことができました。積み重ねてきた努力を信じ、シーズン初戦に臨みたいと思います。 二つ目は「陸上を楽しむこと」の大切さです。 全力で取り組むほど結果を求めるようになり、いつの間にか楽しむ気持ちを忘れてしまうことがあります。私自身も結果ばかりを意識するあまり、自らを追い込んでしまっていた時期がありました。緊張の根本的な原因も、そこにあったのだと思います。 しかし大学に入って同期や仲間の姿を見ていると、心から陸上を楽しんでいる人ばかりでした。厳しい練習の中でも互いに励まし合い、前向きに取り組む姿勢に、私は多くの刺激を受けました。そして、強さの本質はこの「楽しむ姿勢」にもあるのではないかと感じました。 12年間続けてきた陸上競技ですが、大学に入ってからも...

2025年度部員ブログ vol.39 酒井大和(3)

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こんにちは。 最近、膝をぶつけて水がたまっている宮下から引き継ぎました、3年の酒井大和です。 宮下、早く治して元気になってね。 なぜか縁あって本日(2/16)は、僕の21歳の誕生日です🎂 同期で早生まれ仲間だったはるやくん、お先に21歳になっちゃってごめんね。 ブログを書くと聞いて、何を書こうかずっと考えていましたが、僕の陸上人生を語るうえで欠かせない人物がいます。 それは、中大25卒のOB・志田原康太さんです。 さん付けしないと怒られそうですが、いつも「こうた」と呼んでいるので、ここでもそう呼ばせてもらいます。 こうたと出会ったのは、僕が稀府小学校(北海道のど田舎)に転校したときでした。 全校生徒は約100人、僕の学年は9人。 学校の中でちょっとだけ足が速かった僕は、こうたに誘われて陸上の試合に出るようになりました。これが、陸上を始めたきっかけです。 中学校に入学すると、陸上部と吹奏楽部のどちらに入るか本気で悩みました笑 ですが、入学前に陸上部の体験に行っていたこともあり、さすがに断れず、そのまま陸上部へ。 今思えば、この選択は間違いなく正解でした。 とはいえ、中学時代は全道決勝にも行けない、いわゆる“へなちょこ選手”でした。 高校進学時も、スポーツで行くか勉強で行くか迷いました。 縁あって、こうたが進学した北海道栄高校から推薦をいただきましたが、道内外から強い選手(後にエケジュニア瑠音と知りました)が集まると聞き、ビビって断念。 最終的には公立高校へ進学しました。 高校でも陸上を続け、高3のインターハイでは、なんとか準決勝まで進出しました。 その日の夜、こうたに電話して「どっか行ける大学あるかな?」と聞いたのを、今でも覚えています。 正直、この成績じゃどこも厳しいだろうと思っていましたが、こうたが直接星野監督に「中大に行きたい選手がいる」と相談してくださり、チャンスをいただきました。 ギリギリで入学できた僕は、「本当に中大で通用するのか」という不安でいっぱいでした。 入学前の目標は、「4年間で何でもいいからインカレに出場する」こと。 1年目はまったく活躍できませんでしたが、全カレのサポートで経験したきつい車中泊をきっかけに、なぜかスイッチが入り、少しずつ結果を残せるようになりました。 1年目はインカレ出場なし、 2年目でインカレ出場、 3年目でインカレ入賞。 ...

2025年度部員ブログ vol.38 宮下颯汰(1)

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 こんにちは。みんなからのいじられキャラ、鈴木さんから引き継ぎました。商学部金融学科1年、宮下颯汰です。 春休みに入り、もうすぐで1年生も終わるということで、今回は私から1年生の振り返りについて書かせていただこうと思います。 去年の3月に入寮し親元を離れての生活がとても不安だったことを今でも覚えています。幸い同期や先輩方にも恵まれていたためその不安をすぐに払拭されました。練習の面では1.2月怪我をしてしまい練習という練習を積むことができていませんでした。しかし自分の状態に合わせた練習メニューのおかげで怪我明けから上手に復帰をしていくことができました。 順調に練習を積んで臨んだ大学初のレースの関東インカレでは、結果は予選落ちで、タイムも自己ベストとは程遠いものとなってしまいました。レース内容も自分のやりたいことができず中途半端なものとなり、大学陸上の洗礼を受けたと感じました。位置取りやスパートのかけ方、フィジカルなど、高校までとは全く違うレースに何も対応できず悔しい思いをし、高校までの力でも通用すると思っていた自分の甘さを痛感しました。 1か月後の全日本インカレでは、結果だけを見れば納得できるものではありませんでしたが、次へとつながるレースができたと思います。関東インカレでできなかった位置取りは完璧で、レース展開も思い描いた通りに走ることができました。しかし、ラストの直線で2人に抜かされてしまい5着、0.04秒差で予選落ちとなりました。この結果から、今の自分はまだ実力不足であることを再確認し、次のレースに向けて何が足りないのか、どの部分を鍛えればよいのかを考えることができました。 全日本インカレから約2か月後、7月後半の中大記録会で約1年ぶりに自己ベストを更新することができました。高校2年生の頃からずっと切ることができなかった1分50秒の壁を突破でき、心の底から喜ぶことができました。両親も自分のことのように喜んでくれて、少しは結果で恩返しができたのかなと思いました。 夏合宿を終え、秋シーズンが始まり、去年一番の目標としていたU20日本選手権を迎えました。ターゲットナンバー1番でのレース、「勝たなければいけない」「1位しかない」という状況が、とてつもないプレッシャーとなりました。結果は4位。また4位。表彰台まであと一歩、タイムも微妙で、結果を出せなかった自分がと...