2025年度部員ブログ vol.43 藤山健伸(3)
こんにちは!日本代表としての選出、そして「中大の顔」としての目覚ましい活躍。そんな華々しい功績を持つ田邉からバトンを受け取りました、 3 年の藤山健伸です。
本日は 2/22 猫の日です!こんなにおめでたい日はないです。みんなで猫ちゃんを可愛がりましょう!!私はアレルギーなので触れません。なので可愛いワンちゃんの動画を見ときます。
本日のブログでは、何を書くべきか熟考した結果、極めてオーソドックスではありますが、私が短距離走という種目に行き着いた背景と、競技の幕を閉じる 「これから」 への決意について、改めて整理していこうと思います。
私の陸上競技人生の幕開けは、中学 1 年生の春でした。 動機は至ってシンプルで、父と兄が陸上経験者であり、ただ単に真似をしたにすぎません。
競技を始めた当初の私は、自身に何が向いているのか把握できていませんでした。顧問の助言に従い、まずは 1500m に出走。記録は”6 分” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく6と刻まれていました。「まぁええわ、やーめよ」
これは明らかに「不適合」であると直感し、すぐさま 100m へと舵を切ります。記録は”14.21” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく14.21と刻まれていました。「さいあく」
ならば「中間の距離なら活路を見出せるのではないか」という安易な仮説に基づき、800mに挑戦しました。”2分51秒” 「は?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく2分51と刻まれていました。「おわった」
これが私の中学 1 年生時点での「全自己記録」です。全種目地区大会敗退。同期からは容赦のない嘲笑を浴び、当時の私は反論の余地すら見出せませんでした。
中学2年春。楽だから短距離一本に集中してみたよん。 もちろん、前年の惨敗が私の中に悔しさとして残っていたことは言うまでもありません。そこで私は、シンプルかつ実効性の高い一つの仮説を立てるに至りました。 「県内トップレベルの先輩を練習で凌駕すれば、必然的に試合での勝率もあがるんじゃね」
今思えば極めて浅はかな思考ではありましたが、当時の私はこの仮説の検証に全ての心血を注ぎました。
私の性格上、一度目的を定めると、その達成に向けて一直線になる傾向があります。 それ以来、私の視界には「その先輩の背中」しか映らなくなりました。「流し」はもちろん、本来は回復を目的とした「Jog」でさえも、私は先輩の前に出ることを己に課したのです。
結果として、練習のペース配分を完全に無視した「ペースブレイク」を頻発させ、周囲を困惑させた記憶があります。しかし、この頭がおかしいトレーニング法は、中学生という成長期において劇的な化学反応を引き起こしました。
半年後、変化は顕著に現れました。 練習で先輩の背中を捉える頻度が上がり、それと呼応するように自己記録も非連続的な成長を遂げたのです。
気がつけば、前年は地区大会で敗退していた私が、初めて出た400mで県大会 4 位入賞という結果を手にしました。「え?」機械の故障だろうと思い、掲示板に目を向けましたが、電光掲示板は一点の曇りもなく4着と刻まれていました。「やったー」
これが私の短距離を始めた軌跡です。
月日は流れ、現在私は中央大学陸上競技部という、国内屈指のレベルを誇る組織に身を置いています。 正直に申し上げれば、現時点では未だ、誰もが目を見張るような「華々しい結果」を掌中に収めるには至っておりません。
しかし、私の競技人生において「終止符」を打つことになる本年度。私はこれまでのプロセスを信じ、さらに精進してまいりたいと思います。
苦楽を共にし、切磋琢磨し続けた最高のチームメイトと成長し、そしてこれまで多大なる支援を惜しまなかった両親へ、目に見える形での恩返しがしたいです。
藤山健伸という一人の人間が、最後にどのような軌跡を描いて幕を閉じるのか。 決して平坦な道のりではありませんが、最後まで愚直に、限界を追求してまいります。
未熟な私ではございますが、今後とも変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。
拙い文章でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。次は、スマイルがチャーミングな南嶋です! この冬季は絶好調すぎて怖いくらいです!期待の星!南嶋のブログをぜひ読んでください!
藤山健伸(3)
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