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2025年度部員ブログ vol.30 村松晃成(3)

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  こんにちは。松本から引き継ぎました、経済学部経済学科3年村松晃成です。種目は走幅跳で現在寮長も務めております。  こうしたブログを書くのは初めてで、何を書こうか非常に迷いました。ただ、最初で最後かもしれないと思い、今回は少し真面目に書いてみようと思います。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。  いよいよシーズンが始まろうとしています。それは同時に、私がこれまでの大半を費やしてきた15年間の陸上人生が、終わりに近づいていることも意味しています。今回は、これまでの歩みを振り返りながら、ラストシーズンへの想いを綴ります。  私の陸上人生は、小学2年生のときに突然始まりました。兄が通っていた陸上クラブの練習を見ていたある日、コーチに抱っこされ、そのまま競技場の中へ。気づけば走っていました。当時は「足が速いだけで最強」だと思い込んでいて、ただ走ることが楽しくて仕方がありませんでした。大好きな友達と一緒に、大好きな走ることができる時間が、何より幸せでした。今振り返ると、これこそが私が15年間陸上を続けてこられた原点だと思います。  しかし、その楽しいだけの陸上は、中学1年生の冬、怪我によって一変します。初めて「走れない時間」を経験しました。それ以降、高校3年生の一年間を除き、ほぼ毎年のように怪我と向き合うことになります。私の陸上人生は、怪我と共にあったと言っても過言ではありません。  大学に入学し、心機一転臨んだ1年目の冬季練習。3日目に起きた捻挫が、私のすべてを大きく狂わせました。練習ができない焦りと、誤ったウエイトの知識、そして抑えきれない食欲が重なり、体重はわずか1か月で5キロ増加。鏡に映る自分は別人のようで、元の体重と感覚を取り戻すまでに約1年を要しました。結果として、2年生のシーズンは、ダイエットをしていただけのような一年でした。  正直、陸上を辞めたいと思ったこともあります。それでも踏みとどまれたのは、大きく二つの想いがあったからです。 一つは、このまま逃げたら一生後悔する、という気持ちでした。周囲が次々と自己ベストを更新していく中で、自分だけが取り残されているように感じる時間は本当に辛かったです。それでも、いつか同じ喜びを共有したいという想いが、前を向かせてくれました。 そしてもう一つが、これまで支えてくれた人たちの存在です。苦しい時でも見捨てず、変...

2025年度部員ブログ vol.29 松本瑠偉(2)

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 中川さよから引き継ぎました、純短ブロック、法学部政治学科の松本です。 マネージャーさん達のおかげで、いつも私たちの練習の質を高めることができています。 いつもありがとうございます🙇 部員日記が始まってからこれまで、どの文章もとても感動的で、つい読み入ってしまうものばかりです。それぞれが多くのことを考えながら日々を過ごしているのだと改めて感じさせられました。何について書くか非常に迷いましたが(定期)、本文章では無難に、私がなぜ中央大学に入学し、陸上競技を続けるに至ったのかについて、過去を振り返りながら綴ろうと思います。松本瑠偉がどんな人間なのかが分かるかと思います。 まず、中央大学法学部を選んだ理由から話します。 一つ目は、「なんかかっこいいじゃん」という、正直かなり浅い理由です。私は基本的に、高校や大学を含め、さまざまな選択を、しっくりくるかどうかという感覚を主軸に決めてきました。というのも、将来やりたいことや学びたい学問が特に見つかっておらず、そのように選ぶしかなかったのが本音です。 二つ目は、同じ高校出身で現3年生の町田先輩が中大法学部に進学していたことを知り、話を聞く中で興味を持ったからでした。 次に、陸上部に入るまでの経緯についてお話します。ここにはさまざまな葛藤がありました。 町田先輩からは陸上部の話もよく聞いていましたが、正直なところ、大学で陸上を続けるつもりはそれほどありませんでした。高校よりもさらにレベルの上がる大学陸上に、到底ついていけるとは思えなかったからです。私は第一志望の大学に落ちて中央大学に入学したのですが、その第一志望を選んだ理由の一つには、「そこに合格すれば陸上をやめられる」とどこかで信じていた自分がいたというのもありました。 しかし当時の私には、陸上を続ける明確な理由も、やめる決定的な理由もありませんでした。 高校時代、私は2年生までずっと県大会止まりで、悔しい思いをしてきました。そして2年生の冬季、一生懸命練習をして、3年生になり県大会で優勝し、さらに北関東で小室と競るという一生擦り続けている結果を残し、周りはより一層私の大学での陸上の活躍に期待しているようでした。 しかしそれからというもの、私の陸上に対する情熱は、ほとんど燃え尽きてしまっていたように思います。それまで共に練習してきた同期が、長距離の1人を除き引退してし...

2025年度部員ブログ vol.28 中川咲世(2)

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  副主将として短距離ブロック全体を牽引してくださっている遥也さん。誰もが認める容姿端麗さを持ちつつ、驕らず謙虚なところは選手としてだけでなく人として本当にすごいなと思います、、、 そんな遥也さんから引き継ぎました。2年マネージャーの中川咲世です。 ブログが始まって約2ヶ月が経ちます。皆様お楽しみ頂けているでしょうか? 選手やマネージャーがどんな今まで時間を過ごしてきて、どんな思いで生きているか、ほんのわずかですが知ることが出来てとても刺激になっています。 ブログの発案は3年生のマネージャーである府川日菜多さんです。こんなすてきな機会を作ってくださりありがとうございます♪ マネージャーをしていて楽しいの?と聞かれることが割とあります。 結論から言うと、とっても楽しいです! でもそれはきっと周りに恵まれているからですね😌 特に同期の子たちはみんな、嫌でも(?)応援したくなるくらい努力家な人たちです。そして互いに切磋琢磨し合う彼らをサポートさせて貰えている私はつくづく恵まれていると感じます。 努力が必ず実る保証はどこにもありません。 それでも、自分自身と向き合っているみんなは、とってもかっこいいです。 特に冬季期間は試合が少なく、目標が見えにくくなる時期でもあります。 そんな中でも鼓舞し合い、互いの存在が互いを成長させるような関係性が築かれているんじゃないかな、、と はたから見ている私は勝手に感じています笑 マネージャーをする中で、自分だけでは見られない景色を見せてもらえたり、 異次元のスピードに触れたり、迫力を目の当たりにしたり。 全部みんなのおかげです。 色んな迷いや葛藤に苦しんでいる姿を見ると自分の無力さを感じます。どんな風に貢献できるか、果たして貢献できるのかさえわかりませんが、 私は私なりにできることを模索していきます。 最後にちょっとPRです.....  私はSNS関係(主にInstagram)に携わることが多いのですが、これからはYouTubeも活発にしていくつもりです! 皆さん、どうぞお楽しみに^_^ 最後まで読んでいただきありがとうございました!! お次は松本瑠偉くんです。松本くんといえば、腕相撲、、、きっと中大最強なので、いつか両手で対戦させて下さい💪 中川咲世(2) 珍...

2025年度部員ブログ vol.27 山下遥也(3)

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 藤田から引き継ぎました、副主将の山下遥也です。 正直、こういった文章を書くのは苦手で、うまく書けていない部分もあると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。 今回は、自分が陸上を始めた理由と、陸上人生における二つの大きな変化について書きたいと思います。 僕が陸上を始めたのは、今から11年前の小学校4年生の時です。 僕の小学校には部活動があり、当時はサッカー部に所属していました。サッカー部とバスケットボール部は、陸上大会が近づくと強制的に陸上競技をやらされており、正直、陸上が好きでやっていたわけではありませんでした。 大会では群大会に出場するだけで、学校ではヒーロー扱いでした。とても誇らしく、よく自慢していたのを覚えています。しかし、群大会では下から二番目という結果で、成績としては決して良いものではありませんでした。それでも悔しさはなく、「学校でちやほやされればそれでいい」という考えでした。 中学校に進学し、陸上部か、身長があったこともありバレーボール部かで迷いました。ですが、バレー部は休みが少なく、大会前には坊主にしなければならない。一方で陸上部は日曜日は休み、雨が降れば休み。最高だと思い、陸上部に入部しました。 中学校で、一つ目の大きな変化がありました。それはライバルとの出会いです。 小学校ではライバルがおらずヒーローだった自分が、中学校では初めて「勝てない相手」と出会いました。どれだけ頑張っても追いつけず、負けてばかりでした。そこで初めて、陸上に対して「悔しい」という感情が芽生えました。 「変わるしかない」と自分に言い聞かせ、意味があったかは分かりませんが、毎日腹筋100回、スクワット50回を、自分で書いた目標シートの前で行っていました。寝る前には、その目標シートの前で神社のように手を叩き、「目標が叶いますように」と願っていたのを覚えています。 その努力が実ったのか、3年生の大会では県大会、関東大会で優勝し、全国大会でも入賞することができました。 高校は市立船橋高校に進学しました。 高校生活は、決してキラキラしたものではありませんでした。毎日怒られ、毎日きつい練習をし、「なぜ陸上をしているのか」「なぜこんなにつらいことをしなければならないのか」と思うことも多くありました。中学校の友達が楽しそうな高校生活を送っている話を聞くたびに、自分はなぜこん...

2025年度部員ブログ vol.26 藤田悠舜(2)

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部員ブログをご覧いただきありがとうございます! 庄籠⑵から引き継ぎました、総合政策学部政策科学科2年の藤田悠舜です。福島県から上京してきました。専門種目は800mです。 ごもりの愛称で親しまれる庄籠くん。絵を描くことが得意だったり、机で魚を飼ったりとレースで魅せる熱い姿とはまた違った穏やかな一面があるのも彼の魅力です。 ここからは私の今思うことについて綴らせていただきます。少しでもご覧いただけたら幸いです。 私たちの世代(05,06)は先日、成人の日を迎えました。二十歳の集いや同窓会に出席してきました。中学校や高校を卒業してから一度も会ってなかった同級生とも再会することができ、昔話や近況報告などの話に満開の花を咲かせてきました。十人十色の人生を報告し合ったり、あの頃と同じく他愛もない話をしたりと、とても刺激的で最高に楽しい時間でした。 今は18歳以上が成人という括りになりますが、やはり20歳という節目を迎えると一段階大人としての自覚が増してきます。 社会に出て自分は何をしていくのかなと日々考えていますが、なかなかヒントは見つかりません。私をここまで育ててくれた親や家族、友人、先生を始めとする、関わってくれた方々への感謝が募るばかりです。 次の20年後の自分は何歳なのだろう。20年前の私は、今こうして人生を送っていることなど知るよしもなかったことでしょう。 将来のことを考えると、自然とたくさんの思い出が蘇ってきます。 これまでの20年という年月を生きてきた中でも、私から切っても切り離せないものが「陸上競技」です。 小学校3年から地域の陸上教室に通い始め今まで11年間陸上と触れ合ってきました。小中高で100m〜駅伝、幅跳びなどほぼ全ての種目を経験してたどり着いたのが「800m」。 高校2年生の時、当時の顧問の先生と先輩に勧められてに本格的に800mの練習を始めました。 トラックを2周する内に繰り広げられる駆け引きや力のぶつかり合いに惹かれていき、どんどん800mが楽しくなっていく日々。気づけば800mでインターハイに出場するという目標ができ、さらに練習に打ち込むようになりました。 冬季に怪我がありながらもなんとか福島県大会決勝まで駒を進めました。1分54秒79という自己ベストを出しましたが、結果は7位。東北大会すら進めませんでした。この大会について語るととてつもなく長文...

2025年度部員ブログ vol.25 庄籠大翔(2)

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 こんにちは。田中良弥さんから引き継ぎました。 法学部法律学科2年の庄籠 大翔です。    ブログ1回目となる今回は、意外と人に話したことのない、私の専門種目である400mを始めたきっかけに遡り、私の思い描く理想の選手像について書いていきたいと思います。 あれは中学2年生の体育祭のことでした。  当時の私は100mを専門種目として大会に出場しており、それまで他の種目を大会で走った経験はほとんどありませんでした。そんな中、体育祭の学級対抗種目であるスウェーデンリレーにおいて、私はクラスで最長距離の300mを任されました。  ちなみに、スウェーデンリレーとは、走る距離が順番に長くなっていくリレー競技で、私の中学校の体育祭では、4人目のアンカーが最長距離の300mを走るというルールでした。  今となっては短く感じる300mですが、当時の私にとっては非常に長く感じられました。しかし、陸上部である私が長い距離を走ることで逆転を狙うという戦略でもあり、「陸上部の底力を見せつけよう」という思いから、自然と気持ちが高まっていました。 そして本番。  バトンを受け取った時点で私は3番手でした。前の2人はサッカー部で走力もあります。ペース配分も分からなかったため、ひとまず前半は8割程度のスピードで入ってみることにしました。そのとき、全力で走る感覚と8割程度の感覚に、それほどスピードに大きな差がないことに気づいたのです。 まさかの走りの感覚を掴んだ瞬間が体育祭でした。  その後、前を走っていた2人を追い抜き、1位でゴールしました。そのレースを見ていた、当時の恩師である陸上競技部顧問の先生が、「400mに向いていそうだな。今度、試合で走ってみたらどうだ」と声をかけてくださり、実際に大会へ出場することになりました。 これが引き金となり、 "ラスト100mで差がつく人生" が始まりました。  その後に出場した大会では、9年ぶりとなる大会新記録を樹立することができ、全中へも進むことができました。恩師の目は、確かにその先を見据えておられたのだと思います。 こうした経験から、今でも私が貫いている理想の選手像があります。  それは、ただタイムを追い求める競技人生ではなく、見る人の心に残る“魅せる走り”をし、互いの絆を深められる走りができる選手です。  この体育祭のときも、クラスのみ...

2025年度部員ブログ vol.24 田中良弥(3)

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 明けましておめでとうございます! 中高大のかわいい後輩である柏木から引き継ぎました、800mブロック商学部国際マーケティング学科3年の田中良弥です。 部員日記をご覧いただきありがとうございます。 本日は初の部員日記ということで自分なりの言葉で私の「これまで」と「今」、そして私を支えてくれている泥臭くも愛おしい仲間たちについて、綴りたいと思います。 最後までご覧いただければ幸いです。 本題に入る前に前担当柏木創太という漢についてちょこっと。 柏木は私が中学3年生の時中学1年生として陸上部で出会いました。 最初は練習も適当で休んだり大変な後輩でした。ですが、高校生になり考え方が変わったのか先輩を尊敬するようになり練習も真面目に取り組んで成長している様子を間近で見ていました。 そんな柏木が大学になっても陸上部で頑張ると言った時は自分のことのように嬉しかったです。 年始には一緒にライブに行ったくらい仲がいい可愛い後輩です^_^ さて本題に入ります。 小説を読む感じで読んでみてください。 私の陸上の原点。 それは、小学生の頃にたまたまつけたテレビの向こう側にありました。 箱根駅伝予選会。そこで目にした、当時中央大学1年生キャプテン船津さんの涙のスピーチ。 当時小学生だった私は、その涙に強烈な衝撃を受けました。中大横浜への進学を目指していたこともあり、中央大学への思いれから 「中大を救いたい」 本気でそう思ったんです。今思えば生意気で無謀な決意ですが、あの瞬間の震えるような感覚が、私の全ての始まりでした。 中学ではテニス部と迷いましたが、先輩たちの優しさに惹かれて陸上部へ。 しかし、現実は甘くなく、ひたすら先輩の背中を追いかけて走る毎日でしたが、県大会にすら届かない。 それでも不思議と、「走るのを辞めたい」とは一度も思いませんでした。 高校へ進み、私は「3000mSC(サンショー)」に出会います。 ハードルを越え、水壕を越える先輩たちの姿に「かっけぇ…」と純粋に憧れました。 「これだ」と思い挑戦を決めましたが、そこで同時に出会ってしまったのが、私の陸上人生につきまとう天敵「疲労骨折」でした。 高2の冬。度重なる骨折と向き合う中で、私は箱根駅伝という夢を諦めざるを得なくなりました。 残酷な現実でしたが、そこで立ち止まるわけにはいかなかった。 好きな長距離と、得意な短距離...

2025年度部員ブログ vol.23 柏木創太(1)

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 みほさんから引き継ぎました、競歩をやっている経済学部1年の柏木創太です。 みほさんは誰かと話してる時はずっと笑っていて、誰とでも明るく接してくださります。 そんな姿はきつい冬季練習に取り組む中心に靄がかかる部員にとって一筋の希望の光になっていると感じ、僕自身もとても感謝しています。尊敬してます(笑) せっかくブログを書く機会をいただいたので、これまであまり触れられることのなかった 「なぜ大学に入ってまで陸上、そして競歩を続けたかったのか」について綴ろうと思います。 高校での陸上生活が終わり、中央大学への進学が決まった後、陸上競技部への入部を相談しましたが、多くの方から前向きな賛同をいただくことはできませんでした。 理由は数え切れないほどあり、どれも納得できるものばかりだったと思います。 「なんで陸上部に入りたいの?」 そう聞かれたとき、当時の自分は何も答えることができませんでした。 今振り返ると、その答えは 「中途半端な自分から脱却したかったから」 だったのだと思います。 昔から自分は、何かを始めても中途半端に終わらせてしまうことが多くありました。 小学校から続けていた水泳も、きつくなったことを理由に中学受験を口実に辞めてしまい、中学から始めた陸上も、口では大きな目標を掲げながら、結局それを達成することなく終わってしまいました。 自分にとって転機となったのは、高校2年生の県総体です。 5つ上の先輩が競歩で輝かしい結果を残している姿に憧れて始めた競歩で、初めてラウンド戦を突破することができました。「もしかしたら、いつか全国で通用するかもしれない」 そんな大きな期待を胸に臨んだ南関東大会では、結果は散々なものでした。 その後の県新人戦でもうまくいかず、翌年の総体も南関東大会で敗退。 南関東のレースを終えてホテルに戻ったとき、妙な満足感と、どこか不完全燃焼な感情だけが残りました。 そこで、また自分は中途半端に終わってしまっているのだと、初めてはっきり自覚しました。 「今度こそ」と高らかに宣言していたインターハイも、気づけば掴めないまま終わり、しかもそれにどこか満足してしまっている自分がいました。 それでも、何が足りなかったのかよく分からなかったので、インターハイの現地まで行き、勝つ選手たちを自分の目で見にいきました。すると、全員に共通していたのは勝ちに対して圧倒...

2025年度部員ブログ vol.22 最所美帆(2)

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  會田聖也君から部員日記を引き継ぎました総合政策学部2年マネージャーの最所美帆です。  申し訳ないことに入部当初は會田君と話すとき身構えていたのですが、部活に慣れてきたのかどうか時々聞いてくださるなど、話してみるととても優しい方でした。最初は陸上の知識がなく、とんちんかんなことを言ってても色々優しく教えてくださったので助かってます。ありがとうございます。    私は元々某ダンスサークルに所属していましたが、色々あり(汗)やめようかな~と思ってたところで、英語で同じクラスにいた同じくマネージャーである中川咲世ちゃんに偶然誘われて去年の8月に入部しました。  英語のクラスはワンランク下がったので少し悲しかったのですが、咲世ちゃんに出会えたのでAll OKだと思ってます。    入部して5カ月ほどになりましたが、既に学んだことは多いなと感じてます。  部活では体力的にも精神的にも限界まで頑張る方々の集まりなので、人に対しての余裕がなくなる場合が多いと思います。その中でそれぞれが誰かしらに対しての不満がでてくるものだと思います。それに最初はびくびくしてましたが、最近はそのような部活という場で活動することにより慣れてきて、嫌われることをあまり気にならないようになりました。自分の中では特に大きい成長だと思っているので、それも含め、部活に入れてとても感謝してます。    話は変わって、私はどの分野においても人が頑張っている姿を見るのが好きなのですが、普段の部活では、選手の方々がなりふり構わず限界まで頑張っている姿はとても素敵で、見る度、いつも感動してます。マネージャーとして選手の方々が頑張ってる姿をいつでも見れて、その努力に少しでも関われているのがとても幸せです。  あと1年ちょっとですが選手の方々をこれからも支えられるように頑張りたいです。    ここまで読んでくださりありがとうございました!    次は、ジャルジャルアイランドを見るのが共通の趣味の柏木創太君です!  最所美帆(2) 私のそっくりさん

2025年度部員ブログ vol.21 會田聖也(1)

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 町田さんより引き継ぎました、法学部政治学科1年の會田聖也です。町田さんには、会うたびによく
「會田はいつマイル走るの?」
と聞かれていた気がします(笑)。  私自身、来シーズンは1回くらい走りたいと考え、現在は400ブロックにお邪魔して練習しています。町田さん、来シーズンは走るタイミングがあるかもしれません!  さて、前置きが長くなりましたが今回のブログは「會田聖也」がどのような人間なのかについて綴らせて頂いたと思います。  私の印象を聞かれたら、多くの人は「サングラスの人」と答えるでしょう。
そのサングラスの裏側にある、私がそれを付け始めた理由と内面について、話したいと思います。試合でサングラスを着け始めたのは、中学三年生の頃です。
「かっこいい」や「目立ちたい」からではありません。」  こう見えて――どう見えているのかは分かりませんが(笑)――私はかなりメンタルが弱い人間です。  中学三年生のとき、初めて県大会で負けました。
それまで一緒にいた人たちも、負けが続くと次第に私から離れていきました。
その瞬間、心に深いコンプレックスが生まれました。 「試合に出るのが怖い」
「走りたくない」  それまで順調に動いていた陸上の歯車が、突然、ギシギシと錆びつき始めたような感覚。止まってしまったのです。私にとってサングラスは、その錆びついた歯車を隠す盾でした。
不安や恐怖が、目から漏れ出さないようにするためのものでした。  高校生になっても、私は弱さを隠すために虚勢を張り続けました。
SNSに「〜秒で走れる」「調子がいい」と並べることで、自分を保とうとしていたのです。  けれど、両親やトレーナーには、私の弱さはすべて見透かされていました。
「お前は、ハートが弱いんだよ」
父に胸を叩かれながら言われた言葉は、今でも忘れられません。
どれだけサングラスで見た目を隠しても、
どれだけ言葉で誤魔化しても、
レーンに立つと不安が胸をぎゅっと締めつけていました。  大学生になって、私は寮生活や新しい人間関係で、陸上をやめたくなる時期がありました。
環境の変化に戸惑い、自分の居場所が分からなくなり、胸の奥に重い不安がのしかかっていました。  そんな時、私は強がるのをやめ、プライドを手放すことにしました。
自分の弱さを素直に受け入れ、初めて両親やトレーナーに不安を打ち明けることにしたので...

2025年度部員ブログ vol.20 町田達哉(3)

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  こんにちは。渡邉彗から引き継ぎました、法学部政治学科3年の町田達哉と申します。専門種目は400m、小学生から中学生までクラブチームでサッカーをやっていまして、陸上は中学から高校・大学と彼此9年以上活動しております。  今回どんな内容のブログを書こうかなとかなり悩みました。「陸上人生」「勉学」「趣味」「政治」などなど考えましたが、せっかくの機会なので同じ400mブロックのメンバーについて程良く書いていこうかなと思います。(範囲としては1〜4年生を書こうと思います。2つ3つ上の先輩に関しては割愛させて頂いたので、もし聞きたかったら連絡ください笑)  まず一番お世話になったと言っても過言ではない4年生の西山さんです。自分には4ブロの同期がいないのと推薦で入ったわけではなかったので、わからない事だらけで事あるごとに西山さん含め先輩方によくついていってたなと思います。そして西山さんと関わる中で後悔が2つありまして、それは試合の直接対決で勝てたのが1回のみでほとんど勝てなかったこと、全カレの決勝でバトンを繋げなかったことです。前者に関しては、前回の関カレ選考で最後の30mで刺されたり、今回の関カレ選考でも怪我明けで運良く勝てたという感じで常に大きな壁でしたね…。後者は、西山さんとは日本選手権リレー、関東インカレ、全カレの予選と全て隣の走順でバトンを繋いできましたが、自分が予選の日に足痛めてしまって決勝走れずバトン繋げることができなかったので本当に悔しかったです…。もしかしたら陸上している時期よりも忙しいかと思いますが機会あれば是非遊びに来てくれると嬉しいです♪  次に2年生で庄籠、正野、田邉の3人がいますが、一人目は庄籠でいきます。最近ごもりに思うことは練習強すぎることですね。ここ最近というか沖縄合宿以降勝てた記憶がなくて、ショートもロングも坂も強くて本当に良いオフシーズンを過ごしていると思います。特に今シーズンは4ブロの中でも唯一怪我なく過ごせていて、トワイライト以外はフルで出ていたことからもごもりいなかったら相当悲惨な状況になっていましたね…。ごもりには前回の関東新人で怪我明けにも関わらず、マイルの決勝走ってもらったりとかなりこちらのわがままを聞いてくれたので、とっても感謝してます!そして冬季の時点からでもPBは簡単にでるんじゃないかと思えるくらい力ついているの...

2025年度部員ブログ vol.19 渡邉慧(2)

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明けましておめでとうございます。中央大学経済学部2年の渡邉慧です。こういう機会でしか中々、自分の思いを皆さんに伝えることがないと思うので、このような機会を頂けたことにとても感謝しています。今回は高校時代の振り返りと、大学時代の目標を書いてみました。   私は新潟明訓高校で3年間陸上競技に取り組んできました。高校の練習に参加する前までは、中学時代に200mで全中4番になった実績があったのである程度は通用すると思っていましたが、初めて明訓の練習に参加すると、周りとの実力の差に圧倒されました。ショートスプリント、スピード持久力、耐乳酸、どの分野別練習においても周りとのレベルが顕著でした。実際、1年生の時のほとんどの練習では、ついて行くのに必死で常に1番後ろを走っているとという状態でした。理想と現実のギャップに焦り、とあるスピード練習で肉離れをしてしまいました。一生懸命治療をし、完治してもスピードを出すのが怖く、再発を恐れ、質の低い練習しかできませんでした。その結果、1年次には中学の自己記録すら更新できずにシーズンが終わってしまいました。その一方で同期のライバルはぐんぐんと記録を更新し、気づけば勝っていた私の持っている自己記録をあっさりと抜かれてしまいました。今となっては陸上競技において初めての挫折でした。 そんな挫折を乗り越えるきっかけとなったのが顧問の金子監督の存在でした。怪我で悩まされ結果が出せない私に対して毎日のように「力はあるから焦らずやりなさい。」という言葉をかけてくれました。そんな愛のある指導と、周りのライバルのおかげで、日々厳しい練習を怪我なく乗り越えることができました。 徳島インターハイ4×100mリレーでは6位入賞することが出来ました。 そして、高校3年次にはリレーで日本一も視野にできるほどまで成長することができました。しかし、記録は鰻登りに向上すると思われましたが、メンバーの故障や私の膝の故障などで、日本一になるという目標を叶えることはできませんでした。悔しい気持ちになったのと同時に思い通りに全て行かないのが陸上競技の面白さであると実感しました。しかし個人の成績としては200mで北信越優勝することが出来ました。今の自分があるのは関わってくれた一人一人のおかげです。 大学生になり100mの自己記録は更新したものの、200mの自己記録は2年以上更新...

2025年度部員ブログ vol.18 山本祐弥(1)

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 こんにちは。経済学部一年の山本祐弥です。  私が陸上を始めたきっかけは、姉が陸上をしていたことにあります。練習や大会を見に行く中で、走ることが身近な存在となり小学三年生の頃に自然な流れで始めました。  競技を続ける中で、チームスポーツと個人競技の違いについて考えるようになりました。チームスポーツでは、自分人身が良いプレーをしていても、他の人の出来によって結果が左右される場面が多い為、自分には合わないと感じました。一方、陸上は結果が自分の力に大きく依存する個人競技であり、結果が出た時に達成感を感じられることから本格的に続けたいと考えるようになりました。  中学三年時には全国大会に出場することができ、この経験が大きな転機となりました。全国の舞台で走れたことは大きな自信となり、高校でも陸上競技を続けたいという思いが強くなりました。そのため、より高いレベルで競技に取り組む環境を求め、強豪校への進学を決意しました。  高校では厳しい練習が続き、思うように記録が伸びず、怪我をしたりと苦しい時期も多かったです。しかし、きつい練習から逃げずに取り組み続けた結果、高校三年時には個人でインターハイ、国スポで入賞することができ、これまでの努力が結果として表れました。この経験を通して、継続することの大切さを強く実感しました。  これまでの競技生活を通して、結果が出ない時期でも継続して努力することの大切さを学んできました。  大学では、寮に入ったりと環境が変わって思うように結果を出すことができなかった一年でしたが、現在は自己ベスト更新を一つの目標として、日々の練習に取り組んでいます。関東インカレ、日本インカレで入賞できる選手を目指し、これまで支えてくれた人への感謝を忘れずに、競技と真摯に向き合い続けていきたいと思います。  次は自分の部屋長の渡邉さんです。 山本祐弥(1) 仲良き3人組

2025年度部員ブログ vol.17 田村莉樹(3)

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明けましておめでとうございます。  黒木から引き継ぎました、中央大学経済学部3年の田村莉樹と申します。  まずは、この場で新年の抱負を書かせていただきます。 “学生最後の一年、人生を賭けて全力で楽しく駆け抜く”   小学1年から陸上競技に出会い、好きで続けてきた陸上が終わってしまうかもしれない現状にいます。小さい時からの夢を叶えるためにも社会人になって競技を続ける必要があり ます。しかし、今の実力だと到底叶いません。どちらに転ぶかわからない状況ですが、いい方向に向けるようこの抱負を掲げて精進していきます。  さて、ここからは本題に入ります。 今回のブログで何について話そうか色々考えましたが、改めて「なぜここまで続けてこら れたのか」を振り返りました。走ることが楽しかったからはもちろんですが、たくさんの人と出会い、支えられてきたからこそだと思います。 なので今回は、今まで支えてきてくれた方々への感謝の気持ちをこの場を借りて伝えさせてください。   陸上競技を教えてくれた静岡吉田ACへ   このクラブに出会えたのは、保育園の時から仲良くしてくれたしゅんちゃんのおかげで す。誘ってくれたおかげで今も陸上を続けられています。ありがとう。  吉田ACでは、陸上の楽しさだけでなく、1人の人として大切なことや厳しさも教えてい ただきました。時には、コーチの方々とぶつかったこともありましが、こんな1人の選手 に向き合い、指導してくださったことに心から感謝しています。 そして、監督。小さい時から今もずっと見てくれてありがとうございます。 まだ、個人で優勝する姿を見せられていないのが心残りです。今年がラストになるかもし れませんが、必ず優勝する姿を見せるのでもう少し待っててください。    体の面でサポートしてくれたトレーナー方々へ  高2の時、たくさんお世話になったかずさん。 かずさんは、体幹や栄養面を中心にサポートしていただき、食事の写真を毎日のように送りつけてましたね。ご飯連れてってくれたり、作ってくれたり本当にありがとうございま した。なかなか、会いに行けてないので時間作って会いに行ってもいいですか?  高校3年生かけて、がもうさんと深く関わらせていただきました。トレーニングしに行った時は、たわ...

2025年度部員ブログ vol.16 黒木海翔(2)

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みなさんこんにちは。 2025が終わり2026になりました。 本年も中央大学陸上競技部の応援よろしくお願いいたします! 先日は箱根駅伝がありました。結果は5位と悔しい気持ちが残りましたが自分も駅伝部の同期たちに負けないように頑張ろうと思えました。 1年目から自己記録更新とノリにノりまくってチームを鼓舞する期待のルーキー山崎から引き継ぎました。短距離ブロック所属、法学部法律学科2年の黒木海翔と申します。 さてさて本題に入るとしましょうか。 何を書こうか悩みに悩んでみんなが陸上競技についてたくさん語ってくれるので関係ないものにしようかなと思いましたが結局話せるものがなく黒木海翔の歴史を陸上競技に偏って少しばかり話そうと思います。 時は遡り小学時代 陸上を始める前は3年ほど野球をかじりました。なぜ野球やめたの?って聞かれると言い方が悪くなりますが「飽きた」の一言になりますかね🤔 両親にはやりたいことやらせてもらってたのにほんとごめんなさい。 それから中学時代 運動は好きで特に走ることは大好きだったので陸上の道に進むことにしました。足の速さには自信があったもののそれは井の中の蛙で中学に上がると1番にはなれず悔しかったのを覚えています。自信をなくしてなくなく走幅跳をすることに決め、縁があって4年生の中島さんの恩師にあたる先生が異動してきたことをきっかけに練習に打ち込み、全国大会に出場することができ陸上が好きになりました。 またまた中島さん繋がりで東福岡高校へと入学しました。 少々長くなりそうなので少し休憩☕️💭 私の唯一のルーティンを紹介します!こちら! 試合前日の夜にプッチンプリンを食べること! 特にプッチンプリンに決めた理由はないけど要は気持ちの持ちようですかね? こう見えて試合前日は緊張していつものやってないことやり出したりと規則性が無かったので作ったルーティンです。 前日緊張して眠れない!というそこのあなた!!! 自分だけのルーティンを作ってみるのも大事ですよ さてさて戻って来てください。 もう少しだけ目を通して頂けると幸いです👀 飛躍の高校時代💪 高校にあがると走幅跳から花形と言われる100mへと種目を転向。当時の3年間の目標は100mで10秒台、走幅跳で7m!と今の結果から見ると低く視えるものかもしれませんが入学当初100mは11.30とこれと言って速い選...

2025年度部員ブログ vol.15 山﨑天心(1)

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  こんにちは。  工藤さんから引き継ぎました、中央大学法学部法律学科1年の山崎天心です。出身は神奈川県で、高校は東京都の城西大学附属城西高校です。  今回は、私がこれまでの競技人生の中で最も悔しかった試合、そして私が陸上競技を続けるうえで大切にしていることについてお話しさせていただきたいと思います。  私が陸上競技を続けてきた中で、一番悔しかった試合は、高校3年次の福岡インターハイです。この大会では、100m、200m、4×100mリレーの3種目に出場する予定でした。100mの準決勝では、当時の自己ベストを更新することができ、2位通過で決勝に進出することができました。高校生活の集大成ともいえるインターハイの舞台で自己ベストを出せたことは、とても嬉しかったです。  しかしその一方で、準決勝のゴール付近でハムストリングの肉離れを起こしてしまいました。最初は軽い違和感だと思っていましたが、徐々に痛みが強くなり、歩くことも困難な状態となりました。結果として、決勝のスタートラインに立つことができず、インターハイの100m決勝という舞台をスタンドから見つめることになりました。  さらに、残っていた4×100mリレーの準決勝や200mにも出場することができず、チームに迷惑をかけてしまいました。陸上競技は個人競技が中心ですが、リレーは支部大会から仲間とバトンを繋ぎ、インターハイ優勝を目指してきた種目です。その舞台で走れなかったこと、自分が力になれなかったことは、本当に悔しい経験でした。  このインターハイでの悔しさは、単に「走れなかった」という事実だけではありません。私 は元々怪我が多く、シーズンを怪我なく終えられた年はほとんどありませんでした。調子が良いと感じていた矢先に怪我をしてしまうことや、思うように陸上競技に取り組めない時期も何度もありました。そのたびにリハビリを行い、少しずつ復帰していくことの繰り返しでした。  また、私は才能に恵まれた選手ではないです。中学、高校を通して、常に部内で一番速い選手だったわけではなく、同期や先輩には自分よりも速い選手がいました。だからこそ、自分にできることは、地道に努力を積み重ねることだと考えてきました。一つ一つの練習に向き合い、自分の課題を見つめ直し、少しずつ成長していくことを大切にしてきました。  そのような中で、インターハイという舞台...

2025年度部員ブログ vol.14 工藤匠真(2)

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 🎍新年明けましておめでとうございます🎍 2026年も中央大学陸上競技部をどうぞよろしくお願いいたします。 長距離ブロックの皆さん箱根駅伝お疲れ様でした。 短距離も多くのものが出場選手の力走をテレビ等で観て、 やる気をもらえたと思います。 個人的には中学からの仲である並川の山下りには熱くなりました。 長距離ブロックの皆さん本当にお疲れ様でした。 改めましてこんにちは。 野村さんから引き継ぎました、 中央大学陸上競技部 主務を務めさせていただいております2年の工藤匠真です。 すでに2026年も4日目になり、時の速さに焦りを感じます。 部員日記に何を書こうかと、結構悩みました。 陸上を始めた理由や大学の同期について書こうとも思いましたが、せっかく2026年のトップバッターを任せていただいた機会ですので「目標」について思ったことを綴りたいと思います。 みなさんのやる気につながれば幸いです。 自分自身の目標については選手として主務として最強になりたいと思っています。 客観的に求められる主務像を考えました。客観的には仕事をこなせる人だと思われますが、僕は、それは主務として当たり前のことであると認識しています。選手かつ主務としてチームに一番貢献できるのは対校戦において得点を持って帰ってくる主務が求められているのではないかと思います。 単に仕事ができる人間を目指すのではなく、競技も両立している方がかっこいいと思ったのもこの目標を抱いた理由の一つです。 これも人数の少ない短距離ブロックであるからこそ可能なことであり、長距離主務の方々の協力があるからこそであることも承知しています。だからこそ仕事があっても忙しいとは口にしないようにしてきましたし、これからも出さないと決めています。 大学生期間の人間としての目標です。 高校生の時に顧問の先生から「目標」の設定はどの大会でどんな記録を出すかを明確にしろと助言をいただいたことがあります。中央大学陸上競技部の1人として入学・入部した際、同様に、2025年の秋から2026の春までの冬季練習の期間もある目標を設定して取り組んでいます。 一年生の冬季から二年生の今シーズンに向けて立てた目標は関東インカレ三位入賞(15m85cm)・全日本インカレ入賞(16m00cm) でした。実際は関東インカレは予選敗退し、全日本インカレは出場も叶いませ...