2025年度部員ブログ vol.27 山下遥也(3)
藤田から引き継ぎました、副主将の山下遥也です。
正直、こういった文章を書くのは苦手で、うまく書けていない部分もあると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
今回は、自分が陸上を始めた理由と、陸上人生における二つの大きな変化について書きたいと思います。
僕が陸上を始めたのは、今から11年前の小学校4年生の時です。
僕の小学校には部活動があり、当時はサッカー部に所属していました。サッカー部とバスケットボール部は、陸上大会が近づくと強制的に陸上競技をやらされており、正直、陸上が好きでやっていたわけではありませんでした。
大会では群大会に出場するだけで、学校ではヒーロー扱いでした。とても誇らしく、よく自慢していたのを覚えています。しかし、群大会では下から二番目という結果で、成績としては決して良いものではありませんでした。それでも悔しさはなく、「学校でちやほやされればそれでいい」という考えでした。
中学校に進学し、陸上部か、身長があったこともありバレーボール部かで迷いました。ですが、バレー部は休みが少なく、大会前には坊主にしなければならない。一方で陸上部は日曜日は休み、雨が降れば休み。最高だと思い、陸上部に入部しました。
中学校で、一つ目の大きな変化がありました。それはライバルとの出会いです。
小学校ではライバルがおらずヒーローだった自分が、中学校では初めて「勝てない相手」と出会いました。どれだけ頑張っても追いつけず、負けてばかりでした。そこで初めて、陸上に対して「悔しい」という感情が芽生えました。
「変わるしかない」と自分に言い聞かせ、意味があったかは分かりませんが、毎日腹筋100回、スクワット50回を、自分で書いた目標シートの前で行っていました。寝る前には、その目標シートの前で神社のように手を叩き、「目標が叶いますように」と願っていたのを覚えています。
その努力が実ったのか、3年生の大会では県大会、関東大会で優勝し、全国大会でも入賞することができました。
高校は市立船橋高校に進学しました。
高校生活は、決してキラキラしたものではありませんでした。毎日怒られ、毎日きつい練習をし、「なぜ陸上をしているのか」「なぜこんなにつらいことをしなければならないのか」と思うことも多くありました。中学校の友達が楽しそうな高校生活を送っている話を聞くたびに、自分はなぜこんなに制限された生活をしているのだろうと感じていました。
それでも今振り返ると、それは間違っていなかったと思います。今の自分があるのは、確実に市立船橋高校で培ってきたものがあるからです。
二つ目の大きな変化は、高校3年生で主将を務めたことです。
強豪校の主将を務めることは、想像以上に重圧が大きく、自分のためではなく、チームのために走ることに必死でした。目の前が真っ暗だったのを覚えています。
主将になって最初の大会で、監督に言われた
「今年は女子の代だ」
という言葉。何気ない一言でしたが、その瞬間、頭の中で何かが弾けました。
「絶対に男子を強くする」「自分が引っ張っていくしかない」
そう強く思いました。
自分のことは二の次で、チームのため、チームを強くするためにがむしゃらでした。今思えば、もっと肩の力を抜いてもよかったと思います。すべての行動を完璧にこなそうとし、悪い意味で「完璧」でした。真面目すぎたのだと思います。
その結果、自分自身の成績は3年生で思った以上に伸びず、満足のいくものではありませんでした。しかし、男子4×100mリレーではインターハイ2位という成績を残すことができ、チームとしては良い結果を残せたと思います。
最後の試合後、監督から渡された反省ノートには、
「今までで歴代一番の主将だった。お疲れ様。」
と書かれていました。その言葉を読んで、一人で涙したのを覚えています。その一言に、すべてが救われました。
大学での陸上は、今までで一番楽しいです。
幸せなことに最高の同期に恵まれ、充実した日々を送っています。
陸上競技を通して学んだのは、努力することだけでなく、感謝の気持ちを忘れないこと、そして仲間の大切さです。
これからも感謝の気持ちを忘れず、最後のシーズン、今まで関わってくださったすべての方々に恩返しができるような成績を残したいと思います。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は中川咲世ちゃんです。YouTubeの編集からインスタの投稿まで全て手作業で行っている、とんでもなく優秀なマネージャーさんです。本当にいつもお世話になっています!
山下遥也(3)
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