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2025年度部員ブログ vol.30 村松晃成(3)

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  こんにちは。松本から引き継ぎました、経済学部経済学科3年村松晃成です。種目は走幅跳で現在寮長も務めております。  こうしたブログを書くのは初めてで、何を書こうか非常に迷いました。ただ、最初で最後かもしれないと思い、今回は少し真面目に書いてみようと思います。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。  いよいよシーズンが始まろうとしています。それは同時に、私がこれまでの大半を費やしてきた15年間の陸上人生が、終わりに近づいていることも意味しています。今回は、これまでの歩みを振り返りながら、ラストシーズンへの想いを綴ります。  私の陸上人生は、小学2年生のときに突然始まりました。兄が通っていた陸上クラブの練習を見ていたある日、コーチに抱っこされ、そのまま競技場の中へ。気づけば走っていました。当時は「足が速いだけで最強」だと思い込んでいて、ただ走ることが楽しくて仕方がありませんでした。大好きな友達と一緒に、大好きな走ることができる時間が、何より幸せでした。今振り返ると、これこそが私が15年間陸上を続けてこられた原点だと思います。  しかし、その楽しいだけの陸上は、中学1年生の冬、怪我によって一変します。初めて「走れない時間」を経験しました。それ以降、高校3年生の一年間を除き、ほぼ毎年のように怪我と向き合うことになります。私の陸上人生は、怪我と共にあったと言っても過言ではありません。  大学に入学し、心機一転臨んだ1年目の冬季練習。3日目に起きた捻挫が、私のすべてを大きく狂わせました。練習ができない焦りと、誤ったウエイトの知識、そして抑えきれない食欲が重なり、体重はわずか1か月で5キロ増加。鏡に映る自分は別人のようで、元の体重と感覚を取り戻すまでに約1年を要しました。結果として、2年生のシーズンは、ダイエットをしていただけのような一年でした。  正直、陸上を辞めたいと思ったこともあります。それでも踏みとどまれたのは、大きく二つの想いがあったからです。 一つは、このまま逃げたら一生後悔する、という気持ちでした。周囲が次々と自己ベストを更新していく中で、自分だけが取り残されているように感じる時間は本当に辛かったです。それでも、いつか同じ喜びを共有したいという想いが、前を向かせてくれました。 そしてもう一つが、これまで支えてくれた人たちの存在です。苦しい時でも見捨てず、変...

2025年度部員ブログ vol.29 松本瑠偉(2)

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 中川さよから引き継ぎました、純短ブロック、法学部政治学科の松本です。 マネージャーさん達のおかげで、いつも私たちの練習の質を高めることができています。 いつもありがとうございます🙇 部員日記が始まってからこれまで、どの文章もとても感動的で、つい読み入ってしまうものばかりです。それぞれが多くのことを考えながら日々を過ごしているのだと改めて感じさせられました。何について書くか非常に迷いましたが(定期)、本文章では無難に、私がなぜ中央大学に入学し、陸上競技を続けるに至ったのかについて、過去を振り返りながら綴ろうと思います。松本瑠偉がどんな人間なのかが分かるかと思います。 まず、中央大学法学部を選んだ理由から話します。 一つ目は、「なんかかっこいいじゃん」という、正直かなり浅い理由です。私は基本的に、高校や大学を含め、さまざまな選択を、しっくりくるかどうかという感覚を主軸に決めてきました。というのも、将来やりたいことや学びたい学問が特に見つかっておらず、そのように選ぶしかなかったのが本音です。 二つ目は、同じ高校出身で現3年生の町田先輩が中大法学部に進学していたことを知り、話を聞く中で興味を持ったからでした。 次に、陸上部に入るまでの経緯についてお話します。ここにはさまざまな葛藤がありました。 町田先輩からは陸上部の話もよく聞いていましたが、正直なところ、大学で陸上を続けるつもりはそれほどありませんでした。高校よりもさらにレベルの上がる大学陸上に、到底ついていけるとは思えなかったからです。私は第一志望の大学に落ちて中央大学に入学したのですが、その第一志望を選んだ理由の一つには、「そこに合格すれば陸上をやめられる」とどこかで信じていた自分がいたというのもありました。 しかし当時の私には、陸上を続ける明確な理由も、やめる決定的な理由もありませんでした。 高校時代、私は2年生までずっと県大会止まりで、悔しい思いをしてきました。そして2年生の冬季、一生懸命練習をして、3年生になり県大会で優勝し、さらに北関東で小室と競るという一生擦り続けている結果を残し、周りはより一層私の大学での陸上の活躍に期待しているようでした。 しかしそれからというもの、私の陸上に対する情熱は、ほとんど燃え尽きてしまっていたように思います。それまで共に練習してきた同期が、長距離の1人を除き引退してし...

2025年度部員ブログ vol.28 中川咲世(2)

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  副主将として短距離ブロック全体を牽引してくださっている遥也さん。誰もが認める容姿端麗さを持ちつつ、驕らず謙虚なところは選手としてだけでなく人として本当にすごいなと思います、、、 そんな遥也さんから引き継ぎました。2年マネージャーの中川咲世です。 ブログが始まって約2ヶ月が経ちます。皆様お楽しみ頂けているでしょうか? 選手やマネージャーがどんな今まで時間を過ごしてきて、どんな思いで生きているか、ほんのわずかですが知ることが出来てとても刺激になっています。 ブログの発案は3年生のマネージャーである府川日菜多さんです。こんなすてきな機会を作ってくださりありがとうございます♪ マネージャーをしていて楽しいの?と聞かれることが割とあります。 結論から言うと、とっても楽しいです! でもそれはきっと周りに恵まれているからですね😌 特に同期の子たちはみんな、嫌でも(?)応援したくなるくらい努力家な人たちです。そして互いに切磋琢磨し合う彼らをサポートさせて貰えている私はつくづく恵まれていると感じます。 努力が必ず実る保証はどこにもありません。 それでも、自分自身と向き合っているみんなは、とってもかっこいいです。 特に冬季期間は試合が少なく、目標が見えにくくなる時期でもあります。 そんな中でも鼓舞し合い、互いの存在が互いを成長させるような関係性が築かれているんじゃないかな、、と はたから見ている私は勝手に感じています笑 マネージャーをする中で、自分だけでは見られない景色を見せてもらえたり、 異次元のスピードに触れたり、迫力を目の当たりにしたり。 全部みんなのおかげです。 色んな迷いや葛藤に苦しんでいる姿を見ると自分の無力さを感じます。どんな風に貢献できるか、果たして貢献できるのかさえわかりませんが、 私は私なりにできることを模索していきます。 最後にちょっとPRです.....  私はSNS関係(主にInstagram)に携わることが多いのですが、これからはYouTubeも活発にしていくつもりです! 皆さん、どうぞお楽しみに^_^ 最後まで読んでいただきありがとうございました!! お次は松本瑠偉くんです。松本くんといえば、腕相撲、、、きっと中大最強なので、いつか両手で対戦させて下さい💪 中川咲世(2) 珍...

2025年度部員ブログ vol.27 山下遥也(3)

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 藤田から引き継ぎました、副主将の山下遥也です。 正直、こういった文章を書くのは苦手で、うまく書けていない部分もあると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。 今回は、自分が陸上を始めた理由と、陸上人生における二つの大きな変化について書きたいと思います。 僕が陸上を始めたのは、今から11年前の小学校4年生の時です。 僕の小学校には部活動があり、当時はサッカー部に所属していました。サッカー部とバスケットボール部は、陸上大会が近づくと強制的に陸上競技をやらされており、正直、陸上が好きでやっていたわけではありませんでした。 大会では群大会に出場するだけで、学校ではヒーロー扱いでした。とても誇らしく、よく自慢していたのを覚えています。しかし、群大会では下から二番目という結果で、成績としては決して良いものではありませんでした。それでも悔しさはなく、「学校でちやほやされればそれでいい」という考えでした。 中学校に進学し、陸上部か、身長があったこともありバレーボール部かで迷いました。ですが、バレー部は休みが少なく、大会前には坊主にしなければならない。一方で陸上部は日曜日は休み、雨が降れば休み。最高だと思い、陸上部に入部しました。 中学校で、一つ目の大きな変化がありました。それはライバルとの出会いです。 小学校ではライバルがおらずヒーローだった自分が、中学校では初めて「勝てない相手」と出会いました。どれだけ頑張っても追いつけず、負けてばかりでした。そこで初めて、陸上に対して「悔しい」という感情が芽生えました。 「変わるしかない」と自分に言い聞かせ、意味があったかは分かりませんが、毎日腹筋100回、スクワット50回を、自分で書いた目標シートの前で行っていました。寝る前には、その目標シートの前で神社のように手を叩き、「目標が叶いますように」と願っていたのを覚えています。 その努力が実ったのか、3年生の大会では県大会、関東大会で優勝し、全国大会でも入賞することができました。 高校は市立船橋高校に進学しました。 高校生活は、決してキラキラしたものではありませんでした。毎日怒られ、毎日きつい練習をし、「なぜ陸上をしているのか」「なぜこんなにつらいことをしなければならないのか」と思うことも多くありました。中学校の友達が楽しそうな高校生活を送っている話を聞くたびに、自分はなぜこん...

2025年度部員ブログ vol.26 藤田悠舜(2)

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部員ブログをご覧いただきありがとうございます! 庄籠⑵から引き継ぎました、総合政策学部政策科学科2年の藤田悠舜です。福島県から上京してきました。専門種目は800mです。 ごもりの愛称で親しまれる庄籠くん。絵を描くことが得意だったり、机で魚を飼ったりとレースで魅せる熱い姿とはまた違った穏やかな一面があるのも彼の魅力です。 ここからは私の今思うことについて綴らせていただきます。少しでもご覧いただけたら幸いです。 私たちの世代(05,06)は先日、成人の日を迎えました。二十歳の集いや同窓会に出席してきました。中学校や高校を卒業してから一度も会ってなかった同級生とも再会することができ、昔話や近況報告などの話に満開の花を咲かせてきました。十人十色の人生を報告し合ったり、あの頃と同じく他愛もない話をしたりと、とても刺激的で最高に楽しい時間でした。 今は18歳以上が成人という括りになりますが、やはり20歳という節目を迎えると一段階大人としての自覚が増してきます。 社会に出て自分は何をしていくのかなと日々考えていますが、なかなかヒントは見つかりません。私をここまで育ててくれた親や家族、友人、先生を始めとする、関わってくれた方々への感謝が募るばかりです。 次の20年後の自分は何歳なのだろう。20年前の私は、今こうして人生を送っていることなど知るよしもなかったことでしょう。 将来のことを考えると、自然とたくさんの思い出が蘇ってきます。 これまでの20年という年月を生きてきた中でも、私から切っても切り離せないものが「陸上競技」です。 小学校3年から地域の陸上教室に通い始め今まで11年間陸上と触れ合ってきました。小中高で100m〜駅伝、幅跳びなどほぼ全ての種目を経験してたどり着いたのが「800m」。 高校2年生の時、当時の顧問の先生と先輩に勧められてに本格的に800mの練習を始めました。 トラックを2周する内に繰り広げられる駆け引きや力のぶつかり合いに惹かれていき、どんどん800mが楽しくなっていく日々。気づけば800mでインターハイに出場するという目標ができ、さらに練習に打ち込むようになりました。 冬季に怪我がありながらもなんとか福島県大会決勝まで駒を進めました。1分54秒79という自己ベストを出しましたが、結果は7位。東北大会すら進めませんでした。この大会について語るととてつもなく長文...

2025年度部員ブログ vol.25 庄籠大翔(2)

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 こんにちは。田中良弥さんから引き継ぎました。 法学部法律学科2年の庄籠 大翔です。    ブログ1回目となる今回は、意外と人に話したことのない、私の専門種目である400mを始めたきっかけに遡り、私の思い描く理想の選手像について書いていきたいと思います。 あれは中学2年生の体育祭のことでした。  当時の私は100mを専門種目として大会に出場しており、それまで他の種目を大会で走った経験はほとんどありませんでした。そんな中、体育祭の学級対抗種目であるスウェーデンリレーにおいて、私はクラスで最長距離の300mを任されました。  ちなみに、スウェーデンリレーとは、走る距離が順番に長くなっていくリレー競技で、私の中学校の体育祭では、4人目のアンカーが最長距離の300mを走るというルールでした。  今となっては短く感じる300mですが、当時の私にとっては非常に長く感じられました。しかし、陸上部である私が長い距離を走ることで逆転を狙うという戦略でもあり、「陸上部の底力を見せつけよう」という思いから、自然と気持ちが高まっていました。 そして本番。  バトンを受け取った時点で私は3番手でした。前の2人はサッカー部で走力もあります。ペース配分も分からなかったため、ひとまず前半は8割程度のスピードで入ってみることにしました。そのとき、全力で走る感覚と8割程度の感覚に、それほどスピードに大きな差がないことに気づいたのです。 まさかの走りの感覚を掴んだ瞬間が体育祭でした。  その後、前を走っていた2人を追い抜き、1位でゴールしました。そのレースを見ていた、当時の恩師である陸上競技部顧問の先生が、「400mに向いていそうだな。今度、試合で走ってみたらどうだ」と声をかけてくださり、実際に大会へ出場することになりました。 これが引き金となり、 "ラスト100mで差がつく人生" が始まりました。  その後に出場した大会では、9年ぶりとなる大会新記録を樹立することができ、全中へも進むことができました。恩師の目は、確かにその先を見据えておられたのだと思います。 こうした経験から、今でも私が貫いている理想の選手像があります。  それは、ただタイムを追い求める競技人生ではなく、見る人の心に残る“魅せる走り”をし、互いの絆を深められる走りができる選手です。  この体育祭のときも、クラスのみ...

2025年度部員ブログ vol.24 田中良弥(3)

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 明けましておめでとうございます! 中高大のかわいい後輩である柏木から引き継ぎました、800mブロック商学部国際マーケティング学科3年の田中良弥です。 部員日記をご覧いただきありがとうございます。 本日は初の部員日記ということで自分なりの言葉で私の「これまで」と「今」、そして私を支えてくれている泥臭くも愛おしい仲間たちについて、綴りたいと思います。 最後までご覧いただければ幸いです。 本題に入る前に前担当柏木創太という漢についてちょこっと。 柏木は私が中学3年生の時中学1年生として陸上部で出会いました。 最初は練習も適当で休んだり大変な後輩でした。ですが、高校生になり考え方が変わったのか先輩を尊敬するようになり練習も真面目に取り組んで成長している様子を間近で見ていました。 そんな柏木が大学になっても陸上部で頑張ると言った時は自分のことのように嬉しかったです。 年始には一緒にライブに行ったくらい仲がいい可愛い後輩です^_^ さて本題に入ります。 小説を読む感じで読んでみてください。 私の陸上の原点。 それは、小学生の頃にたまたまつけたテレビの向こう側にありました。 箱根駅伝予選会。そこで目にした、当時中央大学1年生キャプテン船津さんの涙のスピーチ。 当時小学生だった私は、その涙に強烈な衝撃を受けました。中大横浜への進学を目指していたこともあり、中央大学への思いれから 「中大を救いたい」 本気でそう思ったんです。今思えば生意気で無謀な決意ですが、あの瞬間の震えるような感覚が、私の全ての始まりでした。 中学ではテニス部と迷いましたが、先輩たちの優しさに惹かれて陸上部へ。 しかし、現実は甘くなく、ひたすら先輩の背中を追いかけて走る毎日でしたが、県大会にすら届かない。 それでも不思議と、「走るのを辞めたい」とは一度も思いませんでした。 高校へ進み、私は「3000mSC(サンショー)」に出会います。 ハードルを越え、水壕を越える先輩たちの姿に「かっけぇ…」と純粋に憧れました。 「これだ」と思い挑戦を決めましたが、そこで同時に出会ってしまったのが、私の陸上人生につきまとう天敵「疲労骨折」でした。 高2の冬。度重なる骨折と向き合う中で、私は箱根駅伝という夢を諦めざるを得なくなりました。 残酷な現実でしたが、そこで立ち止まるわけにはいかなかった。 好きな長距離と、得意な短距離...